コーヒーと京都と友の話

本と、音楽と、木と、コーヒー。これらがすべてそろった喫茶店があったら、素敵だと思っている。大きな樹がある喫茶店で、きれいな音楽を聴きながら、好きな作家さんの本を読みながら、コーヒーを飲む。そんなの、楽しいに決まっている。自分の理想のカフェに必要な四大要素だ。これに人が加われば、完璧。機械が淹れてくれるコーヒーなんて飲みたくない。自分が喫茶店に行く理由の大半は、そこで人に会いたいから、であるからだ。

 

 

コーヒーといえば喫茶店。喫茶店と言えば京都。ということで、ふと、大学時代の友と、彼が取材で携わった一冊の本のことを思い出した。彼と、もし私が彼と出会わなかったら手に取っていなかったであろう本の話。

 

おじさんの京都

おじさんの京都

 

 

彼は大学時代、私と同じように、建築設計そのものにあまり関心を持たず、どちらかというとまちづくり、都市計画の分野に傾倒していた。既存ストックを活用したまちの再生を卒論のテーマに、まわりの学生にない視点で研究をしていた。がたいもよく、社交的そうで、第一印象こそ「自分は彼とは友達になれないだろうな」と思うような、つまりはあっち側の人間だと思っていた。しかし、同じ研究室に所属したことがきっかけで話をすると、想像以上にソフトで、決してチャラチャラしていなくて、すぐに仲良くなった。一緒に谷根千に散歩に行ったことを、思い出す。

 

彼が取材スタッフの一人として関わった「おじさんの京都」という本がある。京都にある喫茶店、本屋、飲食店などを、それぞれ独特の視点で紹介している。東京にいながらして、京都の独特のにおいを感じることができる、不思議な本だ。

 

この本がきっかけで、自分にとっての居場所のようなカフェがある暮らしがしたいと思うようになった。 だって、テーブルに眼鏡が置いてあって、これ何?と聞いたら、「あ、それ常連さんの。いつもそこに座るから」なんて、素敵じゃないですか。注文してからコーヒーが出てくるのに1時間は当たり前、筆者が知る限り最長記録は友人がフルーツジュースを頼んだ時の3時間半だった、なんて、素敵じゃないですか。そういう文化、もっと味わいたいなぁ。

 

そんな文化を私以上に嬉々として味わい、自らの人生のゆとりへと変換させてしまうであろうおおらかさを持っているのが、彼の良いところ。そんな彼は大学卒業後、突然「これから農業従事者になります」なんて言って北海道へ行った。それ以来、連絡しても返事は来ず、研究室の教授の死別にも立ち会わず、要するに何してるのかよく分からない状態がいまも続いている。きっと、北海道の広大な大地の上で、注文したコーヒーが出てくるのに3時間かかろうとも屁でもない京都のような時間感覚の世界で、自分なりのゆとりある人生を謳歌しているに違いない。