ことばのきせき

詩を書く動機は、書きたいことがあったというより、書いてみなくては自分のありかが分からないという実感だった。書くことが、書きたいことを言語化する行為であるより、書き得ないことを感じ直そうとする試みであることは、これまで他の随想などでも述べてきた。

(詩集 ことばのきせき/若松英輔 亜紀書房 あとがきより)

 

最新詩集が発売されたとSNSで知り、本屋で探してようやく手にした。はばたく鳥のイラストが美しい表紙を眺めているだけでも心が洗われるようだ。これほど「ことば」とは何かを真剣に考え、それとともに生きながら書き続けている人を私は他に知らない。彼の詩集を繰り返し、身体にしみ込ませるようにして読むことで、そして例えばこのブログで文章を書き続けることで、私も「ことば」を大事に扱う大人の一人になれたら嬉しい、とこのところ感じている。

 

「書き得ないことを感じ直そうとする試み」とはどのような試みを指すのだろう。さらに細部に注目して、自分の中に宿る「書き得ないこと」とはどのようなものだろう。それが分からないから、書くという行為に終わりがないと言えるのかもしれない。