皿洗いと静寂

ほぼ毎日やっている家事のひとつに、皿洗いがある。夜、寝る前に食器を洗い、拭き、乾かす。その一連の作業がやり終わらないことには、安心して寝ることができない、とまで思うようになった。それをやらないと安心できない、と言うと多少ネガティブに聞こえるかもしれないけれど、言葉を裏返せば、ルーティンを繰り返すことで割と簡単に穏やかさを宿すことができる、ということである。こうして毎日の心の安定度の「平均値」を高められることが、ルーティンがもたらす一番の功績だと思っている。

 

今日はちょっと億劫さもあって、もう寝よう、洗いものは明日にしよう、と思った。しかし、寝る前に少しだけ、とパソコン作業をしているうちに、「あー、これだけ起きてるなら、明日に持ち越さずにやっちゃった方が早い」と腰をあげ、結局いつもの通り皿洗いをしてしまった。

 

ひとりで黙々と皿を洗っているとき、その作業に全神経を集中させているのかというと、そうではない。最低限、こすりそびれている部分はないかと気をつけてはいるものの、それ以外は、割と関係ない、別のことをぼんやりと考えていることが多い。それは、明日は何時に起きてあれをしなきゃいけないなー、といった現実的なことから、LUNA SEAの好きな曲ベスト3を訊かれたらどの曲を選ぶかなー、といった他人によってはどうでもいい妄想まで、さまざまだ。ただ、作業をしながらぼんやりと考える時間が、自分にとって必要であることは、なんとなく身体で理解している。それは、日課のジョギングも同じかもしれない。走ることの健康的意義ももちろんあるけれど、ひとり走りながらいろいろなことを考える、その時間がもたらす心身のリフレッシュ、気分転換が、自分には必要なのだと思っている。

 

愛読している「静寂とは」(アーリング・カッゲ/辰巳出版)で著者は、キッチンで皿を洗っている時に人生の重要な決断(出版社をつくろう、という決断)をしたと言っている。また同書では、イーロン・マスク(twitterを買収する前の話だろう)が外部をシャットアウトして新しいアイデアを育てる時というのは、「エクササイズやサーフィンをしているときとか、シャワーを浴びているか、トイレにすわっているとき」だと紹介している。イーロン・マスクのサーフィンと同列に語るのははばかられるけれど、キッチンでの皿洗い中に重要な決断をしたという著者の体験には共感できる。皿洗いに夢中になっているとき、実は心の中は静寂に満ちているのだと思う。