1か月ぶりに妙典へ。ゆっくりはできなかったけれど、都外の空気をたっぷりと吸い込む。外から見ると都内の人は大変な状況下を生きているように見えるらしい。その張本人たる自分にはそれほど危機感はなく、生活もさほど変わったわけではないのだけれど。
それこそ週に2~3回は必ず立ち寄っていた本屋がある。そこで今日もうろうろしては、ここに住んでいた1年前までの自分の暮らしを思い出していた。
その「いつもの」本屋さんにしても、イオンの中にある未来堂書店にしても。いま自分が好きでSNS等でチェックする複数のセレクト本屋が推しているような本が、ほとんど置いていないということに気づいた。作家別の小説文庫はずらりと並んでいる。ビジネス書もたくさんある。死にたいけどトッポッキは食べたいとか、ブスな自分を殺すのに頑張ってるとか、何者にもなれない自分を応援してくれる本もたくさんある。大河ドラマの影響か、渋沢栄一の本もたくさん平積みされている。なのに、どれだけ探しても(あまり長居できなかったから気づかなかっただけで、もしかしたらあったのか?)、「三春タイムズ」もなければ、「NAOT BOOK」もない。「ぼくにはこれしかなかった」もなかった。なので結局、夜帰宅してから、信頼する本屋のウェブショップで買った。
これは!と表紙やタイトルを見てビビっと来る(ことが多い)ような本が、こうした大衆書店(という言葉が適しているのかは分からないけれど)には置いていないという事実。ここから導き出される結論は、書店には役割分担があるということ。ある街に本屋さんがあっても、そこで扱う本には限りがあり、そこで扱わない本を扱う本屋もまた、重複したり競合したりすることなくその街に必要である、ということ。そんなことを、久しぶりに妙典に来て感じた。