管理組合の理事会に出席しているときのこと。大規模修繕工事の流れについて質問されたので、こたえていたら、それを熱心にメモをとっている理事の方がいらっしゃった。
もう何度も言われ続けているし、自分もその重要性はしっかり認識しているはずなのだけれど、改めてメモをとることって大事なんだなぁと感じた。
自分が話をしていることに対してメモをとっている他人を見ると、自分も発言に気をつけなければならない、と感じる。不用意な発言はできないし、(いつも注意はしているけれど)いつも以上に言葉を選んで、慎重に、かつ簡潔に説明しなければ、と思う。
そうやって、自分が他人に対してどう説明するかを客観的に観ようとすることが、自分の説明の正確さ、分かりやすさを磨くために必要なのだと感じた。ただ頭に浮かんだ言葉を口にして、かっこいい語彙が口をついて出たことに酔って、「けっこういいこと言ったじゃん、自分」なんて思っている限りは、伝えるべきことの大半は伝わっていないだろう。言葉にする自分と、その言葉を聞いて理解しようとする自分。二人の自分が一緒にいるようなイメージだ。言葉を聞いて理解しようとする自分がいるから、いま言う必要のない無駄な言葉はそぎ落として、重要なことだけをつまもうとすることができるのだ。