いいこと、を数える

「休日はこれをして有意義に過ごしました」という何か一つ突出したものがあるわけではなく、いろんなことをしながらなんとなく時間が過ぎていくことが多いので、夜、こうして一日を振り返ると、あまり達成感はない。今日は、午前中少し仕事をしたあと、事務処理をしようと思って事務所へ行くも、やる気が起きず、諦めた。帰りがけに寄ったサントリー美術館の展示では、鼠志野の美しさにうっとりした。いつものカフェでは隣に座った赤ちゃんがかわいくて、つい頬が緩んだ。帰宅後、河川敷を少しジョギング。水際を走るのはなぜだかすごく気持ちいい。戻って、ご飯を食べて、のんびりしていると、もうこの時間だ。これが有意義な休日だろうか、と疑問に思うこともあるのだけれど、自分の身体が自然にそうすることを選択しているという感じなので、きっと有意義なのだろう。好きなケーキ屋の焼き菓子を食べながら、この甘さも身体が欲しているんだから仕方ない、と思うことにしよう。

 

仕事では相変わらず自分の手際の悪さに眩暈がする毎日だけれど、不機嫌になっている限り自分自身成長がないし、周囲にもその不機嫌の波が伝播して、空気が悪くなるに決まっている。機嫌が悪い人を見ると機嫌が悪くなる自分が何よりの証拠だ。休日に、なにかこう、ほっとするような、癒されるような、落ち着くような、気分があがるような、そんな出来事を多く経験すれば、仕事で多少嫌なことがあっても、乗り越えられるんじゃないか、と本気で思っている。だから休日に起きた楽しい出来事を、できる限り覚えておこうと思う。

 

今日だって、駅のホームに着いたらちょうど乗る電車がやってきた。駅前の本屋では、店員さんに丁寧に接客してもらった夫婦のお客さんが「親切な人でよかったね」と言い合っていて、ほっこりした。いつものカフェでの赤ちゃんがかわいくて、ついにやけてしまったときは、こんなことで笑顔になれるんだったら、その気になればどんなことでもやり過ごせるんじゃないかという変な自信までついた。河川敷を走っていたら、地域猫がたくさんいて、それも全然動じずにボーっとしてたり寝てたりしている。猫は自由でいいなぁ、なんて無責任にもうらやましがったりする。そしてなによりかわいい。・・・なんだ、数えてみるとけっこういいことがあったじゃないか。

 

こうした「いいこと」を体感したときの気持ちのままで、ずっと過ごすことができないものだろうか。