夕方少し仕事。その帰り道、ちょっと早かったので寄り道をして、駅前のパスタ屋に久しぶりに立ち寄った。
自分と同じ名字の名札を付けたその店員さんは、しばらく会っていなかった空白期間を一瞬で埋めるかのようにやさしく微笑んでくれて、なんだか恥ずかしく、しっかりと目を見ることができなかった。シャイな店員さんだなぁ、と以前は彼女のことを思っていたけれど、自分も人のことは言えない。名字同様、その辺の性格も同じか?
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ここに来たときは本を読みながら過ごすと決めていて、だから今日もカバンに入っていた本を取り出して、読んでいた。手紙生活のススメ。常々、筆まめでありたいと思いながら、なかなか実態が伴わない。
最後に活版のグリーティングカードを扱っているショップリストがあり、その中に面白そうなお店が載っていた。「本とごはん、日用品のお店だが、eggpressなどのカード類も」本屋とごはん屋と雑貨屋と文具屋が合体したお店?本とコーヒーを組み合わせたブックカフェは数あれど、ご飯を食べられる本屋はそうはないと思う。さらにそこに活版印刷のグリーティングカードがあるという。しかも下北沢。これは面白そう、ということで、今度はスマホを取り出して検索してみる。紙の本で得た情報の詳細をネットで調べる。すごいことがサラッとできるようになった。
「ピリカタント書店」いきなり閉店の文字が目に入り、そうかぁ、と落胆したのもつかの間、そのオーナーのいまの活動を知り、さらに驚く。自らの旅を経て、食を伝えるべくピリカタント書店の経営を始めて、いまは出張料理人としてさまざまな場所に食を届けている。ご飯を食べられる本屋というアイデアもありそうでなかったし、そこから発展して、どこへでも食を届けるという発想も、自由で面白い。
インターネットで情報を発信する一番の強みは、距離という障害を超えられること。この当たり前のことに、気づかずにいた。例えば自分が何か価値を与えられるようなお店を持ったとして、お客さんに来てもらおうと思って情報を発信したら、実店舗のすぐ近くの人に来てもらって常連になってもらうのはもちろん、遠く離れた、とてもじゃないけど実店舗に来てもらえないような人にも知ってもらうことができる。そのときに、遠く離れたお客さんに価値を提供するには、来てもらうことを除くと、発送するか、持っていくかしかない。ここで、例えば手作りの料理などは、発送には向かない。とすると、直接届けに行くというのは、ごく自然で、当たり前の手法なんだと思う。そのことに、気づかずにいた。
そしてそれは結局、お店を経営するにあたって、実店舗という場所を限定した概念はいらなくなるということだ。都心にいたらそこには情報が集まり、人が集まり、だから地価が高くてもそこにお店を構える価値があると思っていたけれど、都心に実店舗がなくても、地方でも、それこそ町や村といった田舎であっても、都心と対等に価値を提供することができるということだ。
自分はいま都内で仕事をして情報を発信しているけれど、そのことに安心して、あぐらをかいていたらダメだな、と思った。自分という人間を評価してもらって、自分がどこにいようが関係なく求められるようであれば、距離という問題は解決できる。
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人ありきで好きになれるお店を持てるのは幸せなことだ。もしその人とそのお店が切り離されたとしても、その人のファンでい続けられる、といったようなことがあったら、最高だ。インターネットは距離という物理的問題を飛び越えるんだ。と、多少時間があいても笑顔で出迎えてくれる同じ名字の店員さんに触れながら、思った。