ぼくは音楽には疎い方だ。好きなロックバンドはとことん好きで、だいたいの曲は聴いてはいるが、そういうバンドは限られてるし、それ以外の、いま音楽チャートをにぎわせているいわゆるJポップはほとんど知らない。昔でこそよく音楽番組を見てはランキングをチェックしていたが、いまは全く分からない。
ちょっと前、ある工場計画の地鎮祭の直会で、施主とカラオケをするはめになった。仕事の場で歌うのはその時が初めてだった。その場が友達とノリで行くようなカラオケだったら、それこそLUNA SEAやTHE YELLOW MONKEYの、誰も知らないようなアルバム曲なんかを堂々と歌ってみんなにカッコいい曲であることをアピールするところだが、ここではそうもいかない。そもそもここは宴会で使うような昔ながらの寿司屋の座敷。カラオケにそれらの曲がインプットされているかどうかも疑わしい。そんななか、施主から歌うようにせがまれ、脳みそをフル回転させて自分の考えうる無難な曲レパートリーを探しだし、選んだ曲が「ひとつ屋根の下」の『サボテンの花』。のんびりした曲で、心に余裕を持って歌えるこの曲を、ウケ狙いでもなんでもなく自信満々に歌ったのだが、「なんだその選曲は?」みたいな空気に若干なってしまった感がある。
その後に施主が歌った歌は、演歌だったり歌謡曲だったりしたわけだが、そのうまい歌を聴きながら、演歌だったり歌謡曲だったりを歌うことでとれるコミュニケーションもあるのだなというのを痛烈に感じた。「はい、ぼくはそういった類は知りません」てシャッターを下ろすのは簡単だけど、それで閉ざされちゃうコミュニケーションもある。話は飛ぶけど、その施主が自分の馬を持ってるほどの大の競馬好きで、競馬の話になった時に、全然会話ができないぼくを尻目に、その話に乗っかっていった上司をみてすごいなと思ったこともあった。「スポーツ新聞なんで死んだって読むかっ!あれはスポーツや芸能記事が好きな暇人が読むようなもので、高貴なサラリーマンが読むもんじゃない。スポーツ新聞を読んだことがないのが自分の誇りだ」なんて考えてたぼくだけど、その力もあながちバカにできない。
ぼくが知ってる歌謡曲といえば、昔実家にCDがあって、いいなと思ってた「ルビーの指輪」とか、THE YELLOW MONKEYがカバーしてたのがきっかけでいいなと思った「夜明けのスキャット」とか、とにかく数えきれるくらいしかない。今度こういう仕事で歌う場面にぶち当たった時、どうしようか、ホントにイエモンみたいに「ルールルルー♪パーパパパー♪」て歌うのか?と考えると、いまでもゾッとする。
こういう時、自信を持って歌えるレパートリーがあるといい。すげぇカッコよく長渕剛を歌う施主を見ながら、そう感じたのをふと思い出した。