組曲

3月20日。春分の日。


だいぶ厳しい寒さも和らいできましたね。嬉しい限り。


どこにたどり着くかわからない、とりとめもない駄文。


LUNA SEAの12年ぶりのニューシングル「THE ONE -crash to create-」が発売とあって、いつも一日早く入荷するツタヤに一足早く行ってきた。


カーステレオでボリューム最大限。


この22分をどう過ごそう、とウキウキしながらツタヤをあとにする。


感想は・・・適切な表現が見当たらないけど、とにかく期待を裏切らない完成度だったことは確か。


これを聞いちゃったら、GLAYの「SAY YOUR DREAM」の13分だって短い短い。


まさしく、22分の長さになるべくしてなった組曲。


「長いなぁ〜」という感覚はなく、詰め込んだら22分になっちゃった、みたいな感触。


構成の複雑さはとりあえず置いておいて。


「いくつサビがあるんだ?」という、いままでの「サビ」という概念を根底から覆すような疑問はとりあえず置いておいて。


「これは絶対カラオケじゃぁ歌えないな」という落胆もとりあえず置いておいて。


今の売れてる音楽シーン(がどういうものかいまいちよく分かってない自分がいうのもおかしいが)の曲にはない挑戦がふんだんに組み込まれていて嬉しかった。


所々に、いままでのLUNA SEAの曲を連想させるようなメロディが垣間見れてまた嬉しかった。


いざ聞き始めたら22分間は席を離れられない、それなりに覚悟のいる曲だけど、何度も聞くうちに、また違った発見がありそうな、玉手箱のような曲だと思う。


聞けば聞くほどよさが染み渡る、例えるなら、噛めば噛むほど味が出るスルメのような。





スルメといえば。


小学生時代、「よっちゃんいか」という駄菓子があった。ぼくの一番ポピュラーなあだ名が当時「よっちゃん」だったので、よく「よっちゃんのぉ〜するめいか♪するめじゃないよ酢漬けだよ♪」とコマーシャルのように歌いながらからかわれた。だからぼくは「よっちゃんいか」は美味しいとはおもうけど嫌いだった。



昔、よく近所の駄菓子屋で数十円の駄菓子を当時は勇気を振り絞って買って食べていたものだが、そういえば今もあるのだろうか、と疑問に思った。(駄菓子そのものの味とかそういうことではなく、それを売ってる会社の方に興味を持ってしまうようになったのは、社会人になった証拠なのか?)調べてみたら、あった。「よっちゃんいか」を製造販売している会社、なんと「よっちゃん食品工業株式会社」というのだそうだ。いま初めて知った。しかも、ホームページ見たら「よっちゃんいか」に限らずいろんな商品を発売している。いまならば「そりゃぁ『よっちゃんいか』だけで成り立つわけないよな」なんて思うものだが、他の商品はほとんど見たことも食べたこともないものばかりで、やはり「よっちゃんいか」の人気は、20年近く前から不動のものであったようだ。こういう、時を経ても変わらない人気をずっと保ち続ける、というのは、なにも「よっちゃんいか」に限ったことではないけれど、ホントにすごいことだと思う。ぼくの「一級建築士の勉強を毎日少しずつする」という年初の目標なんて、たったの1か月で挫折してしまうほど、自分の中の情勢でさえデイリーに変化しているのに。


これからもそのシンプルなおいしさで、ガキ達のささやかな幸福を支えていってほしいと思う。





駄菓子といえば。


大学時代にインターンシップで大阪に行った際、まちづくりNPO主催のコンテナブース活用コンペで、市民が主体となって駄菓子屋を運営するという企画があった。小さなコンテナ内に所狭しと並べられた昔懐かしの駄菓子の数々に、それこそ少年時代の興奮がよみがえってきてたのを思い出した。


大阪、箕面市の北芝。ぼくにとっての想い出の地。レミオロメンの「粉雪」と、デパペペの「シュプール」。この2曲を聴くと、いまでもぼくはこのまちを思い出す。当時、よくラジオで流れていたし、話題にもなっていた曲だった。


ただでさえインドアな自分にとってこれほど刺激的な場所はなかったと思う。お隣さん家に入るのにインターホン鳴らしたら「電気の無駄だ」と言って怒られる、そんなところ、かつてあっただろうか。「お隣さんと言えども他人」といった感覚がまるでないこのまちを見て、当時は困惑しながら、むしろ自分が自分の価値観に縛られていたことを思い知らされた。全然お金がない全くの部外者が1か月生活していける、そんなまちがほかにあるだろうか。別になにをするわけでもないのに、毎日それなりにやることがある、それがとにかく不思議で面白かった。夜逃げ住戸の片づけをした日は、さすがに猛毒の埃を吸って死ぬかな、と生命の危機すら感じたけれど。


1年前、そのまちづくりNPOから久しぶりに、またコンテナ活用コンペがあるので、という応募依頼のメールが来た。プレゼンの日に大阪に行くことができないことから応募は断念したが、いまでも市民主体のまちづくりをコツコツとすすめている皆様に安心し、遠い千葉の地から少しでも力になれれば、と稚拙ではあるが自分なりに考えた案を返信した。3・11の直後だったので、こちらの近況報告も兼ねて。


http://www.hcn.zaq.ne.jp/kurashi-net/


こうして大学時代の出会いがきっかけで、いまでも交流が続けれいられるのもすごいことだと思う。また行きたいな、と思うのだが、なかなかチャンスがないのが悔しい。今日も、ネット上からではあるが、皆様の活躍を拝見し、なにかできることはないかといまだに思案しております。