戸締り

 

「嫌いな言葉は『戸締り』」。伊坂幸太郎の小説に登場する泥棒・黒澤が、何かで言っていたのをふと思い出した。

 

私はその逆で、戸締りのし忘れがとにかく怖い。新卒で入った建設会社で現場監督の研修をしていた時、夜、一通り窓に鍵がかかっているか、チェックをするなかで、身についたことだ。鍵をかけ忘れたことが原因で、もし現場で盗難が発生したら。窓を開けっぱなしにしたことで、その晩に何かが風で飛んできて室内に入って室内のものを傷つけたら。雨が降って室内が濡れたら。可能性は少ないにしても、「もしも」がある以上安心はできない。だから、「あれ、ちゃんと閉めたっけ?」と不安になるのが一番怖い。確実に閉めた記憶があるなら良い。何気なく鍵をかけていて、あとでその時の記憶があいまいだったりするのが一番困る。そうして、もう一度確かめに行くことになる。問題なく閉まっていることがほとんどなのだけれど。

 

だから今日、空室管理の手伝いで巡回した際、「玄関の鍵、かけたっけ?」と帰り道で不安になったときは、焦った。もう空室を後にして15分くらい歩き、もう目の前に駅がある、というタイミングだった。「いや、かけ忘れるはずがない。かけているはずだ」と思うのだけれど、100%そうした記憶がない。2~3分考えた結果、引き返すことにした。往復30分の重複による苦痛と、それをせず帰って「かけ忘れてたらどうしよう」と悶々と過ごす今日からの日々の苦痛を考えたら、引き返した方がまだトクだ。そう判断した。ただこれが、電車に乗り、帰宅した自宅で気づいたとしたらどうだっただろう。きっと「かけ忘れてたらどうしよう」の呪縛に襲われて何日も過ごすことになっただろう。そうでなくても、休日だし時間があるからまあいいか、と明日そのために向かうことになったかもしれない。そう考えれば、あの時に決断して引き返していて良かった。

 

結果、鍵はかかっていた。ホッとした。着く直前、「鍵をかけ忘れていた。だから引き返して正解だった」というストーリーをほんのちょっと期待した。そんな自分を、バカタレ、と叱った。