自由設計と不自由

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こうして休みの日に、まぁ一日外出しなくてもいいかな、と思えるくらいには、どこへも行かないことに慣れてきた。もともと遊びに行きたくて仕方ない!という方ではなかったから、あまり変わらないと言えば変わらないのだけれど。外はものすごい暑さ。雨が多かった分、早めに梅雨が明けたようで、それは良かった。じめじめしてなんとなく落ち着かない時期を抜けたような、そんなスカッとした気分だ。

 

自由設計で住まいをつくった。賃貸だけれど、自分で間取りを検討し、仕上げ材を選んだ。もともと持っていた大きな本棚が馴染むことを優先した家づくりができた。マンションであっても戸建住宅であっても、完成品を購入するのでは体験できないことだ。どこへも行かず家でのんびり過ごす時間が、本当に快適になった。

 

自由設計の住まいづくりの良さは、つくるプロセスそのものにももちろんある。時間をかけて自分の好みを反映させていく、それが楽しい。そしてもう一つは、住み始めてからの暮らしにある。ただ家にいるだけでも、感じ方が違う。普通の賃貸マンションを探して引っ越した場合、仕上げ材がちょっと好みと違うなんてことは多い。そんなものは気にしない、という人はたくさんいるだろう。でも、長い時間を費やす居住空間である以上、好きなもの、好きな素材、心地よい空間に囲まれて過ごしたい。それができるのは、自由設計だけだと思っている。

 

自分にとっての暮らしの究極の姿は、どんな住まいであっても快適だと感じられるような心持ちでいることだ。古い四畳半のアパートで、不便であったとしても、あぁ幸せだと思えることが大事で、それは自分の心持ちの問題だと思っている。もっと言うと、自由設計でつくった住まいに暮らすことでしか快適を感じられないのだとすると、それは自由ではなくむしろ不自由だと思う。そうではなく、どんな環境であっても「幸せだ」と思える心のゆとりが必要で、自分はまだその境地には達していないけれど、そこにたどり着きたいと思っている。そして、その境地に行くまでに、自由設計の住まいで暮らすことの気持ち良さを、味わい尽くして、他人と共有したい。