自分を変えること

「相手のことを変えようとするのは難しい。それよりは自分を変えた方が良い」こういった意見に対して、「いやいや、なんでつらい思いをしている自分が変える努力をしなければならないのか」という反論をSNSか何かで目にした(facebookだったか、タイムラインからすぐ流れ去ってしまい、元投稿が何だったか思い出せない)。確かに、そういう捉え方もあるよなあ、と妙に納得してしまった。と同時に、自分はどちらかというと「自分を変えた方が良い」と思うようになった立場なので、この意見に対して自分だったらどう助言するだろうか、とあれこれ考えた。

 

相手が自分の思い通りに変わらないのであれば、自分を変えた方が楽だろう。それが今の自分の結論。だいたい、自分が何も努力しないで、相手にそれを望むのであれば、その方が図々しいだろう、とも思う。極端に例えるなら、外を歩いていて急に雨が降ってきた時に、「雨に濡れないために傘を買う負担を自分でする意味が分からない。雨、やむべきだ」と言っているようなものだ。

 

それに、もし誰か第三者に、「いいよ、お前は変わる必要はないから。相手が考えを変えるように俺が働きかけてやるよ」と言われたと仮定して、それでも相手がなかなか変わらなかった場合、例え「お前は変わる必要はないよ」と言われたとしても、努力して自分を変えようとするでしょう、普通は?その方が自分の精神衛生上メリットがあるなら、努力しなくていいよと言われたって努力するでしょう。アパートの隣人が理不尽にうるさかったら、静かにせよと相手を説得するより、自分が引っ越する方が楽と考えることもできるでしょう(理不尽にうるさいくらいだから、説得してなんとかなるレベルではきっとないでしょう)。

 

この立場の答えの正解のようなものに、養老孟司さんが講演でしゃべっているYouTubeを観ていて出会った。あ、こう答えればいいんだ、と思った。特に4:25~5:40。

 

「仕事の方を変えてくれってのはおかしいんですよ。だって仕事は周りの都合ですから」

「相手の意見を変えさせるってことは自分の意見を変えるってことと5分5分じゃないですか」

 

これを呪文のように頭で唱え続けたら、自分を変えることが楽になって、仕事でもなんでもやりやすくなると思う。

 

・・・なんて観ていたら、「リプレイ回数が最も多い部分」がちょうどここでびっくりした。みんな「そう!その言葉を聞きたかったのだ!」って思ってるんだろうな。