サグラダ・ファミリアの完成を前に想うこと

東京国立近代美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が開催中で、これは行きたいな、と思っていたのだけれど、オープン直後からものすごい来場があるようで、なかなか行く日を決められずにいた。職場から歩いて行けそうなので、平日の仕事終わりに行くのが良いだろう、と思ってタイミングを見計らう。1ヶ月も経てばさすがに落ち着くだろうなんて思っていた矢先、想定を超える来場者数で行列になり、熱中症の危険があるため日時予約制になった、というニュース。これは予約することでゆとりをもって観られる、という良い知らせなのか、はたまたそれだけ混雑が続いているという悪い知らせなのか。生来、人が集まるところが好きではなく、また大多数の人が興味を持っているのなら殊更自分が興味を持たなくていいのではないか、という気持ちになり、行く気が急になくなってしまう。でもここは、チケット制のメリットに目を向けて、また、仕事の質の向上にも結びつくだろうと思い、チケットを予約した。

 

サグラダ・ファミリアの完成が目前(といってもまだ数年先のようだけれど。ただ私が生まれる100年も前に着工していることを考えると、もうゴール間近といってよさそうだ)だという。その人間の知恵の範疇を超えた造形への興味もさることながら、それよりも私は、別の、より現実的で生々しいことに関心がある。それはつまり、これまでの140年という長い時間、どうやって工事を続けているかであるとか、施主はどうやって職人に請負代金を払い続けているのか(「聖ヨセフ帰依者協会」への寄付、観覧料だけで成り立っているのか?)であるとか、職人は何を頼りに気が遠くなるような作業を続けているかであるとか、初期に造られた部分(現代風に言えば築100年を超えているわけで)が完成前に経年劣化したりはしないのかであるとか、そういった神聖な聖堂の完成とは異なるスケールのことである。今回の展示で、これらの疑問への答えを見つけることができるだろうか。