不寛容論

私が本を置いている本屋が4月に移転するので、その準備をしている。荷物を運ぶ車の中。久しぶりに聴いたラジオでは本をテーマにパーソナリティがしゃべっていた。

 

テーマは「寛容」。「不寛容論」という本を課題図書に挙げていた。自分もこの言葉はいつも強く意識していて、寛容でなければならない、と思いながら過ごしている。自分にとってドンピシャなテーマだな、逆になんだか説教されているみたいでいやだな、なんて思いながら聴いていた。

 

パーソナリティの女性が、自身の不寛容な態度を思い出したと言って語っていた。「校則の厳しくない学校に憧れて頑張って勉強し、入学できたけれど、その年に校長が変わってなんと校則が厳しくなってしまった。そして再度自由な校風に戻ったときには自分は卒業していた。厳しい校則に支配されるつらさを、後から入学してくる後輩にも味わってほしかった、ずるい、そう思ってしまった自分は、不寛容かもしれない」そんな感じだったと思う。人間は得てして、自分が味わった苦痛を後輩も体験させたい、と思う存在なのかもしれない。

 

周囲の人の、他人に迷惑をかけるような態度、非合法的なふるまいに、苛立つことは私も多い。自分だって他人に迷惑をかけることがあるのだし、大目に見ようぜ、と心では思うのだけれど、苛立ちはなかなか消せない。一方で、「寛容でなければならない」と自分に強く言い聞かせる態度は、そのまま他人に対しても「そんなグチグチ言わないで許したらどうよ」と迫ることにもつながる。寛容であれと迫る態度こそ不寛容であるにも関わらず。

 

車の中でラジオを聞きながら、寛容を貫くことと、それを他人と共有することの想像以上の難しさを感じ、心がざわついた。「不寛容論」、読もうと思った。