鉛筆と鉛筆削り

鉛筆をこよなく愛する人による本を偶然本屋で見かけて、面白そうだったので手に取った。私にはここまでの鉛筆愛はないけれど、鉛筆を使って文字を書く機会が少なくなったいまの自分の境遇をなんとなく寂しいと思っていたので、このような熱をもった人がいることに驚くと同時に、自分もその熱の源のようなものを持っているのではないかと感じた。

 

書き続けたら芯が丸まって文字が太くなり、同じ大きさの文字が書きづらくなってくる。そうしたら芯を削る必要がある。それを面倒なことだと思うのは簡単だけれど、それではつまらない。心を波立たせないように、と意気込みながらも、人間が一定の感情を平穏に維持することが困難であるのと同じように、鉛筆もまた一定の書き味ではありえない。その変わり具合を億劫がるのではなくむしろ味と捉えて、自分が使いやすいように握り方や削り方などを工夫してみる。そうして自分なりの心地よい書き味を見つけた時にこそ、自分の想いを一切の抵抗なく直筆文字に転換させることができる。

 

さしあたっていま、手元に鉛筆はある。気に入ってはいる。しかしこれといった鉛筆削りを持っていない。あの小さい鉛筆削りは使っていてあまり楽しくない。小学生のころに使っていた鉛筆削りは最高に気に入っていたが(いまも実家にある)、スヌーピーの絵柄の手巻き式鉛筆削りで、いまはとてもじゃないけど使えない。鉛筆をもっと愛そう、と思った今日、まずはカッコいい鉛筆削りを買おう、と思った。

 

考える鉛筆

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