狭量

午後、自宅で枯れてしまった植物の代わりを買おうと仙川の島忠へ行った。肩ひじ張らず、ホームセンターで安くさくっと買えばいいんだと気づいた瞬間に何となく視界が開けたのが2週間ほど前。たくさんの植物が並ぶなかから、ゴールデンプリペットとコロキアを選んだ。こういう葉が小さい、謙虚さを感じる低木が好きだ。自宅近くのお店でありそうでなかなか見つからなかったワイヤープランツもあった。これからどんどん増やしていくのが楽しみ。

 

そこから東林間へ遊びに向かう途中、乗る電車を間違えた。目的の電車は調布で枝分かれしているらしい。もう10年以上都内で電車を使う生活をしているのに、ろくに調べもせずなんとなくの気持ちで乗るからこういうことになる。想定していたより到着時間が遅れることに気づき、別に急いでいるわけでもないのにイライラしてくる。

 

こういうとき、自分の狭量を憂う。物事が思い通りにいかなかったとき、心を波立たせず、平常心をもってふるまえることが大人の条件だと常々思っていて、まだまだ自分がそこまでたどり着いていないという事実に、たじろぐ。そろそろおれは大人だ、と自分で思えるくらいになってくれよ。

 

仕事では、内臓が縮むような出来事なんていくらだってあるし、相変わらず自分の実行力のなさにめまいがする毎日だけれど、せめて休日くらいは、自分の狭量さにふたをして、おおらかに過ごせないものか。力まず、まぁいっか、の気持ちで。