これまでの仕事とこれからの仕事

先週一週間、身体を動かす気持ちにどうしてもなれなくて、ジョギングをサボってしまった。朝起きて、事務所へ向かうまでの時間に二度寝をしてしまうことが原因だ。走ろうと思っても、なかなか身体が起きようとしない。それでも事務所へ向かう頃には心身ともに目覚めていて、あぁ、ぐうたらしていないで走っていればよかったのに、と後悔する。結局はその瞬間の気分の問題に支配されているのだ。時間が経てば後ろ向きの気分も前向きになることを知っているのだから、その気分をコントロールすればよいのに。でもそれができないから、苦労している。

 

週末、いつもより長めにジョギングする。走っている自分自身が情けなく感じるくらいのゆっくりなペース。でも続けるためには、これでいいのだ、と自分で自分を励ます。いつもより多く、長い時間流れている汗が、なんとなくサボった先週一週間分の自堕落を清めてくれたように感じた。

 

走りながら、自分のこれまでの仕事と、これからの仕事のことをぼんやりと考える。自分が建築をとおしてやりたいことは何なのか。建築をとおして社会にどう役立ちたいと思っているのか。そう考えて、これまでなんとなく頭にあった雲が抜けて晴れたように、一つの答えとして言葉になった。それは、楽しくて、豊かで、快適で、明日への活力になりうる「暮らし」を一人でも多くの人に味わってもらうこと。そして、建築はその「暮らし」をつくるための一つの方法に過ぎないのだということ。建築が担う役割は昔の自分が思うほど実は大きいものではなくて、暮らしをつくるたくさんの要素のうちの一つである。そう気づいた途端、視界がばっと開けたような気がした。