調和の場

西洋医学は体を「病と闘う戦場」ととらえる一方で、伝統医療はそれを「調和の場」ととらえる。その話を読んで、調和の場としての体に敬意をもって、大切にしようと強く意識するようになった。年末年始の気の緩みで調和が多少崩れた自分への戒めとして。

 

 伝統医療では、体や心を調和の場であるとみなしていた。本来あるべき調和が崩れたからこそ、不調和としての症状や病気がある目的をもって起こると考えられていたので、もともとあった場を取り戻すためにあらゆる手段が講じられることになる。

 もちろん、私たちには、異物と判断したものを自動的に排除する免疫システムが備わっている。ただ、その生命の知恵として持つシステムの本質を、頭が「戦争」のメタファーとして捉え、病や異物を憎悪し攻撃する対象として考えるのか、あるいは、頭が新たな「調和」へと至るメタファーとして捉え、病や異物の深い意味を読み取るように新しい平衡状態へ移行するきっかけとして考えるのか、その考え方の違いは日々の積み重ねの中で心身へ大きな影響を与え続けるだろう。

 

コロナウイルスに当てはめるとどうだろう。入ってくるウイルスを異物として嫌悪し戦ってやっつけようと考えるのか、そのウイルスを読み取ってなお新しい平衡状態を探ろうと考えるのか。この場合どちらの考えが正しくてどちらが間違っている、と言う話ではないのだろうけれど、いま私が体に敬意をもち、調和を大切にしようと考える中では、後者の考え方を尊重できるようでありたいと思った。ウイルスが憎いことは間違いないのだけれど、武力をもって戦う、というとちょっと違うように感じる。

 

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

  • 作者:稲葉俊郎
  • 発売日: 2017/12/22
  • メディア: 単行本