自分の体と健康に目を向ける

自分にとって健康とは何かということを、深く考えるきっかけになった一冊に出会った。

 

ここで「出会った」と言うと、本屋で手に取ってピンと来て思わず買ってしまった、というような姿を想像するかもしれないけれど、正確にはそうではない。少し前に新刊で買った美しい装丁の本を読み終わらないうちに、その本には前作があることを知り、その前作が同じく美しい装丁で、迷わず買って2冊の「モノとしての本」を味わいながら本棚に置いてしばらくが経った。ふと気になった読み始めたら、自分の体に敬意を抱き、声に耳を傾けようと思うようになった。序章を読んだだけで、これは自分にとっての数少ない一生大事な本になるだろうという予感がした。こんなことは、そうない。

 

生まれた時から与えられた心や体に最大限の敬意を払いながら、その人にとっての調和を、人生というプロセスの中で実現していくこと。そういう考え方のほうが、より長期的な視点に立った体の見方ではないかと次第に思うようになっていった。

 

人間の体は、調和と不調和の間を行ったり来たりしながら、常に変化する場なのだ。全体のバランスを取りながら、その根底に働く「調和の力」を信じ、体の中の未知なる深い泉から「いのちの力」を引き出す必要がある。それが、人の「全体性を取り戻す」ことにほかならない。

 

すぐれた芸術は医療であり、すぐれた医療は芸術である。

 

自分の体が発する不調の声を感じずに日々を過ごせる状態。私は自分にとっての健康をこう定義する。

 

これまでを振り返って、自分が最も健康だったと思うのは、中学高校時代だろう。部活で剣道に勤しんでいるときは特に。毎朝早く起きるのも苦痛でなかったし、毎朝朝食をとって、同じ時間に家を出て、中学時代は20分、高校時代は40分、自転車をこいで学校へ行くのに「面倒くささ」を一切感じなかったと思う。体調も良く、風邪をひいて休むことなんて年に1回あるかないかだったのではないか。体の声に耳を傾けようという意識がまるでなかったから、たぶん体が自分に悲鳴をあげることがなかったのだと思う。

 

そのかわり、高校3年で部活動を辞めて以降は最悪だった。運動能力の衰えが分かりやすいくらいに感じられた。大学に入って食生活が乱れてからは朝食をとることが億劫になり、やがて食べないことが当たり前になる。空腹で昼にドカ食いする社会人営業マンは「昼に何を食べようか」が一日の最大の関心事である一方、食後は眠く、体は重く、仕事の効率は明らかに悪かった。

 

そしていま、なかば習慣になりつつあるストレスにも「まぁそういうもんだ」と半分開き直りながら向き合い、仕事をしている。やりがいは、ある。自分の果たすべき役割も、ある。けれど心から健康かと言えるかと聞かれると、違う気がする。体は声をあげている。その声を抑えるために自分がどう働いたら良いのか、正解はまだ分からないけれど、この本を時間をかけて読むことで、自分の体を心から尊敬する姿勢が身について、おのずと健康に向かうための選択肢を選べるようになれるんじゃないかと思う。

 

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

  • 作者:稲葉俊郎
  • 発売日: 2017/12/22
  • メディア: 単行本
 

 

いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―

いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―

  • 作者:稲葉俊郎
  • 発売日: 2020/07/02
  • メディア: 単行本