本を抱えて会いにいく

自宅近くのお気に入りの本屋で、今日も1冊本を買う。「本を抱えて会いにいく」シンプルなつくりのこの本、ページをパラパラとめくってみると、そこに著者の生々しいくらいの正直さがにじみ出ていることが、なんとなくだけれど分かる。「音楽のことはずっとすきだ」「職種は営業。学生時代、ぼんやりと考えている中でこれだけは嫌だと感じていたものだった」気づいたら手に取ってレジに向かっていた。自分のことを覚えてくれた店主と目が合う。「お、今日はこの本ですか。お目が高い」そう思われていることを期待しつつ、自分が手に取る本に自分は何を期待しているのだろうかと考えた。

 

読みながら、そうそう、こういう言葉のリズムが心地良いの、と膝を叩くような瞬間に遭遇すること。そして、自分もこういう文章を書きたいという欲望を掻き立ててくれること。さらに、自分がこういう文章を書いて表現することのハードルは、実は思うほど高くなくて、勝手に「高レベルな検閲を経てつくられる崇高なる文章」というイメージを自分に植え付けているに過ぎないのだと教えてくれること。これが、私が傍らに置きたいと思う本に求めることなんだ。今日、そのことに気づいた。

 

「本を抱えて会いに行く」橋本亮二 十七時退勤社

 

 

どの本を買うかももちろん重要だけれど、どこの本屋で買うかも同じくらい重要なこと。そのことを、身近な人から聞いて知った。大型書店で気になる作家の新しい絵本を偶然見つけ、てっきりそこで買うのかと思ったら、「〇〇で売ってるだろうからそこで買いたい。だからいまは買わない」と言う。大型書店での、目の前にあるそれはサイン本。サイン本は確かに欲しいけれど、でもそれ以上に、大型書店ではなく、選りすぐりの絵本を扱う小さな本屋で買いたいのだとか。大型書店が悪いとかそういうことではなく(大型書店だからこその醍醐味だってある(※))、それが好きな本屋との付き合い方なのだろう。

 

彼女にとってのその本屋は、先に書いた自宅近くの私のお気に入りの本屋。気に入った絵本を買うならこの本屋で。そうすることで、好きな本屋を買い支えたい。自分以外の誰かでさえそう思うような立派な本屋さんが、身近にあってよかった。扉を開け、店主と目が合う瞬間を想像しながら、これって実はすごい幸せなことなんじゃないか、と思う。

 

(※)

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