ポストコロナ期を生きる

しばらくサボっていたジョギングを。尊敬する松浦弥太郎さんに影響を受けて「毎朝少しづつでもジョギングをしよう」と思うものの、ここ2週間ほどは眠さ、気だるさに我慢できず、二度寝をしてしまった。走りはじめてしまえば、爽快感が身体を包んでくれるのは分かっているし、どんなにゆっくり寝ていても必ず起きなければならない瞬間は訪れて、その瞬間には、あぁ二度寝なんてしなければよかったと後悔することも分かっている。走ることによるメリットはいくらでも挙げられ、走らないことによるデメリットもまた同じように挙げられるのに、どうしたものか。自分の身体は自分にとってメリットが大きい方の行動をとるようにできているのだとすると、結局のところ「寒い中を走り始めることによる苦痛」が「走ることによる快感」を上回るのだろう。そればかりは身体がそう思っているのだから仕方がない。地道に、少しづつ習慣にしていこうと覚悟を決め、週末で時間のある日曜日、久しぶりにシューズを履いた。

 

それからの僕にはマラソンがあった (単行本)

それからの僕にはマラソンがあった (単行本)

  • 作者:弥太郎, 松浦
  • 発売日: 2017/12/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

とにかく30分は走り続けよう、そう決めて走り出した道中。自分のこと、これからの仕事のことなどを、苦しさを紛らわせながら考える。

 

 

内田樹編「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」をいま読んでいる。主に中学生高校生を想定読者として、この時期と、これからの時期をどう生きるべきかを教えるテキストが並ぶ。まだ途中であるが、読んで印象に残っているのが、後藤正文と山崎雅弘の文章だ。

 

後藤正文は言わずと知れたASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルだ。大学時代に大学近くのTSUTAYAでよく「遥か彼方」がかかっていて、Bメロのスタッカートの効いたギターフレーズに心躍ったのを覚えている。多感な時期に音楽のかっこよさを教えてくれた立役者の一人だ。その彼が「芸術、アートというのは、特定の才能を持った一部の天才だけが表現できるものでは決してなく、誰もが自信をもって表現できるものだと思う」と言ってくれる。のめりこむようなものがなく、自分には何か価値のあるものを創造する能力がないのだとあきらめていた自分にとって、こんな希望のある言葉はないだろう。例えば自分は中学時代、技術の授業が大好きで、特に木材加工は大好きだったではないか。大工という仕事に憧れて、木を切ったり鉋で削ったりしてモノをつくることが、こんなに楽しいのかと驚いたではないか。その時につくったラックや椅子は、それは子供が授業でつくったものに過ぎず、ため息がでるくらい低品質であったけれど、つくっているときの楽しさ、熱中具合は、いまの自分も学ぶべきだと伝えてくれる。

 

趣味でもいいから、なにかモノをつくりたい。楽しく、自分で作品をつくりたい。最近はそう考えている。それが具体的に何なのか、よく分からないけれど、手作り作家さんが丹精込めてモノに命を吹き込むように、自分も熱中して何かモノをつくるという行為を、中学時代の授業までで終わらせずに再開させたい。

 

戦史・紛争史研究家の山崎雅弘は、これからを生きる上で「自分の頭で考えること」の重要性を説く。新型コロナウイルスの蔓延によって、主導者でさえ「どうすることが正解か」が分からないような問題があることや、頼りになるリーダーも判断を誤るということが、明らかになった。そんなときに、リーダーの言うことを無条件に飲み込んで従うのではなくて、自分で考えて違うと思ったら反抗することも大事だと言う。分かりきったただ一つの正解があるような問題ではないのだから、「不正解」を選んでしまったこと自体を責めても仕方ない。それよりも、自分だったらどうすべきだと思うか、という主体的な考えを持つことが大事である。学校で教えてくれる「正解を導くまでの過程」ではなく、「正解がない問題(もしくは誰も正解が分からない問題)を考える過程」が大切だということが、今回の危機によって明確になった。

 

自分は、ちゃんと自分の頭で考えているだろうか。政府の考えを批判するだけで建設的な代替案を示さない意見に「ただ言ってるだけじゃないか。政府だってちゃんと考えてやってるじゃないか」と無条件に受け入れてはいないか。「まず批判ありき」の考えは好きではないけれど、「政府はちゃんとやっているはず」という過度な期待は、避けるべきだ。どんなに自信満々に言っているように見えても、「どうしていいか本当は分からないけれど分かっているふりをしている」のかもしれない。でも、誰も正解が分からないような初めての出来事が起きていることは確かだ。だから、〇〇が言っていることが正解だ、と周りの意見に飲み込まれるのではなくて、本当に正解かどうかを自身で検証すること、もしくは検証しようとする態度を持ち続けることが、いまの自分に必要だと思った。

 

 

 

早いうちにふくらはぎの痛みに襲われて、想像を上回るほどのペースダウン。でもしばらくサボっていたツケを清算し、必ず30分間走ると決めたので、多少はムリしようと走り続ける。駒沢公園を一周し、帰るころには痛みや苦しさはピークを超えて、ランナーズハイに。これでまた筋肉痛が現れて苦労するんだろう。だから少しづつでも、毎日走らなきゃダメなんだ。