赤飯の記憶

赤飯は自分にとってごちそうだ。普段なんでもないときに、ただ食べたいからという理由で食べられるものではない。特別な時に、特別な理由をつけて、満を持して食べるものだ。そう思っていた。それが最近は、ふと思い立った時に気兼ねなく食べられるものに変わった。ちなみにここには、コンビニで買える赤飯おにぎりは含まれない。あれはあれで好きだけれど。

 

よく聞かれる「好きな食べ物は?」という質問に「赤飯です!」と答えていたのを、よく覚えているのが高校時代。自己紹介で珍回答をしてクラスメイトの心をかっさらおうと目論んでいた、下心まるだしの高校時代だ。でも実際にカレーやラーメンなどの定番を差し置いて赤飯をおいしいと思っていたのは、それよりもっと小さいころ、実家近くの夏祭りだっただろうか、公園で炊いたアツアツの赤飯を掌にのせてもらい、豪快にかぶりついて食べた記憶があるからだ。茶碗と箸で食べるのと比べると野蛮でワイルド、今だと不衛生だとつい思ってしまうけれど、子供のころはあれが夏祭りを彩る一大イベントだった。

 

赤飯を買えるお店が、自宅の近くにあってよかった。心からそう思える。事務所近くに引っ越す前から、駅から事務所まで歩く途中にある「蜂の家」で赤飯を扱っていることは知っていた。ここの赤飯もおいしい。引っ越したあと、つい最近知ったのが、自由が丘ひかり街にある「大文字」。ここの赤飯も本当においしい。ささげの豆感が強くて、あぁ、赤飯を食べているんだ、という充足感で満たされる。

 

赤飯がふだんの食べものになったことで、子供のころの「特別なイベントの時に食べる特別なもの」という感動はなくなってしまったのかもしれない。けれど、心の満足を与えてくれる食べ物に出会う、重要なきっかけとなる思い出であることは間違いない。

 

たべるたのしみ

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