意識して美術館巡りをしようと思いたってから、また行かなくてはと気になっていた美術館がある。外苑前のワタリウム美術館だ。
大学1年の時だった。何の講義か正確には忘れてしまったけれど、入学してすぐだったから、たぶん建築史だろう。ワタリウム美術館での展示を見てレポートを提出する、という課題があった。その時にやっていたのが「バックミンスター・フラー展」。ダイマクションハウスやダイマクション地図を提唱した建築家について展示を見ながら調べ、レポートにした。ただ、「バックミンスター・フラー展=ワタリウム美術館」という方程式だけが記憶の片隅にあるだけで、実際に行った時のことは全く覚えていない。
だから今日、約16年ぶりに訪れたときも、「あぁ、懐かしい」という感覚はまるでなく、まるで初めての美術館に足を踏み入れたような感覚だった。シートがラフに剥がれた外壁が年季を醸し出している。地下の書棚には紙の強い匂いがただよう。建築の学生の知的好奇心を刺激する情報が小さい面積の空間内にひしめきあう様子は、さながら御茶ノ水のレモン画翠に来た時のようだ。
マイク・ケリー展が今日から。アメリカの現代美術家の映像作品は、まさにカウンターカルチャーとはこういうものだというようなもの。大衆文化から引っ張ってきた一つ一つの要素を「ひっくり返して」別の意味に変換して見せる。そこに新しい意味、抑圧された意味を見出す。刺激臭たっぷり。一瞬目を覆うようなものもあり。事前情報として見ていたぬいぐるみを用いたアートから可愛らしいイメージを抱いていたものだから、そのギャップに一瞬、戸惑った。
メインカルチャーとは。サブカルチャーとは。それに対抗するカウンターカルチャーとは。いろいろな立場を知ったうえでいまの文化を味わえるオトナでありたい。少し前までの自分だったら「はい、こんなの興味ありませーん」と言って背を向けていたかもしれない。けれど、そういうものも一旦は吸収し、久しぶりにワタリウム美術館に来て良かったと思えるまでには、自分も成長したのかもしれない。
バックミンスター・フラーからマイク・ケリーへと、ワタリウム美術館にまつわる記憶が上塗りされつつある。しかし、知的好奇心旺盛だった大学時代にフラーについて勉強した、言わば大学に入って最初に社会と接点を持った記念すべき美術館だ。これを機に、フラーの思考についても勉強しなおしたい。