7月21日。土曜日。
事務所で待機中。
目の前に聳えるは、壁一面の本棚と、それを埋め尽くす建築関連書籍。
その重さで一部棚板がたわんでいるようにも見える。
設計事務所=大量の建築関連書籍
すべての設計事務所が決してそうとは言えないだろうけれど、設計士もいわば知識労働者(?)。ただひたすら単調の作業をこなすのとはわけが違って、今目の前の課題を解決するための画を、頭を振り絞って描いていく。
「知識労働者」なんて大げさに言うとそれこそコンサルタントとか弁護士とかを思い浮かべるけれど、設計者もそうであるべき。
その知識の源泉である本は、いわば設計士にとっての栄養素。
今、大地震が来たら自分に向かって大雪崩を起こして、自分が生き埋めになってしまうのでは、と心配するくらいの華奢さをもったこの栄養素。それをすぐ摂取できる環境にいるのがうれしい。
「俳優の小栗旬の本棚が面白い」というネットの記事を見て、本棚がその所有者を映し出す度合いが、思いのほか大きいことに気づく。
彼の本棚に並ぶ本(主に漫画)の連載が途切れるタイミングが神がかっているとか・・・私はこのところほとんど漫画を読まなくなってしまったから、どの漫画をどのタイミングで見切ると中途半端だと言われてしまうのか、わからない。
でも、それだけの情報で、世間的にはミステリアスな人であることがわかってしまうのだから、本棚の力はあなどれない。
誰かがどこかで言ってたっけ。「本棚を見られるのは、自分の裸を見られるのと同じだ」
思い出した。超読書家の小飼弾氏だ。確かに彼の本棚は「この人いったい何者?」と思ってしまうようなシロモノだった。
本棚にはその人の頭脳がそのまま投影される。というより、本棚に蓄積される蔵書のひとつひとつが、そのひとの頭脳をつくる。
そう考えると、本棚を見られるのは、裸をさらに通り越して脳みそまで見られてしまうことと同じなのかもしれない。
自分の本棚を客観的に見ると、「偏ってるなぁ~」と気づいてけっこう面白い。