街場のメディア論

1.

大学時代。自分の適性がどうとか、自分が何をするのに向いているかとか、そういったことは深く考えてなかったように思う。ただ目の前の設計演習で精一杯だった。いわゆる建築家と言われる非常勤講師の頭脳。その泉のように湧き出るアイデアが手を動かし、きれいなエスキスができる。どう思考したらそんなエスキスが描けるのか、まったくもって理解不能だった。

 

大学で勉強したことを活かして頑張れる仕事は何か、大学で勉強して興味を持ったことを追求できる仕事は何か、そういう視点で職業を考えて、マンションの企画を行うゼネコンに就職した。最初は「ゼネコン」という言葉が汚職にまみれている気がして大嫌いだったのに。集合住宅を一から企てることができて、その施工にも携われる、という一貫性に惹かれた。そして社会人になって7年経つ。「自分がいまの仕事に向いているか」と考えたときに、胸を張って「向いているよ」と言えるか?まぁ言えないだろう。

 

「これ大学で勉強しててよかったなぁ」とか「これがやりたかったんだよ、なんて天職だ」とか、そう感じたことはあんまりない。それよりも目の前の仕事に行き詰まり、「あんとき勉強しとけば・・・」と後悔しながら改めて教科書を引っ張り出して調べなおす、ということのほうが多い。

 

 

2.

社会人になってからのこと。学生時代の本嫌いがたたり、知識、知恵が常人以下であると気づき、ちょっとは本を読もうと決めた。ノー残業ディの毎週水曜日、仕事終わりに本屋に寄ることを課した時期もあった。それなりにたまっていく本と、それに反比例するように消えていくお金。「これは本を買うことによる副作用だ。決して無駄に消えていくものではない。この本棚にたまっていく本と、それを読んだことで得た知識がその証拠だ」と自分に言い聞かせ、いまでも自分をだましながら本棚づくりは続いている。

 

そんな折の電子書籍の出現。そりゃぁ紙の本じゃなきゃダメな確たる理由がない人にとっては、こんな便利なものはない。ポケットに入れれば大量の本を外出先で読める。部屋もすっきりする。雨の日にカバンに入れていてフニャフニャになることもない(その代わり故障するからダメか?)。電子書籍にのりかえたら、どんだけ部屋が広くなるだろう。喫茶店でコーヒ飲みながらタブレットをヒョイヒョイいじり、本を読むっていうのもなんてクールなんだ!

 

待てよ。じゃぁ近い将来、この世から紙の本がすべてなくなって、みんなデータ化するのか?そうすればみんな幸せなのか?いやいやそうじゃないんだ、と出版社さんを擁護することはできないのか?

 

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

 

最近気になってる著者の「街場の」シリーズ。純粋に「自分の考えを広く、ひとりでも多くの人に伝えたい」という考えをお持ちの方で、自分の考え方に迷いがある時の指針となってくれそう。

 

「与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています(p21)」

 

そうか、自分に適した職業はと必死になって考えるから、予想と違った時に萎えちゃって「オレはダメだ」と緊張の糸が切れてしまう。適性なんて大学の4年間でわかるわけがないんだから、とりあえずやってみて、それが自分になじむように自分を調節していく。そうやって逆に発想すべきなんだ。そう思った途端に肩の力が抜けた気がした。

 

「うちに来て僕の本棚を見た人たちは、そこにある本を全部僕が読んでいると思っている。まさか、そんなわけないのに。(p153)」

 

電子書籍の、紙媒体に対する最大の弱点は、電子書籍は「書棚を空間的にかたちづくることができない」ということです。(p159)」

 

「「私はこれらの本を読んでいる人間である」ということを人に誇示することもできないし(p159)」

 

紙の本じゃなきゃダメな理由があるはずだと思いながら、それがなんなのかを説明できなかったけれど、著者がはっきりと明確に教えてくれた。そうだ、「オレこういう本を読んでてこういう知識を得ようとしてるんだゼ」と無意識のうちに自慢したい気持ちがあった。部屋にいてふとした時に視界に本棚が入った時に「オレこんだけ読んでる~♪」と安心したい気持ちがあった。だからまだまだ紙の本じゃなきゃダメなんです、私は。