北欧家具の部屋から、生きがいを

疲れはてた僕は今死にゆく日を思い なお
あなたの心いやそうと今日も叫ぶ
満ちたりてゆく事のない人の世は
命くち果ててゆくまでの 喜劇 そのものだろう

(GLAY/生きがい)

 

 

11月23日。勤労感謝の日。

 

自分が勤労できていることを感謝しながら・・・とは行かず、この記事を書くいまのいままで、今日が勤労感謝の日であることに気づかなかった。はい、感謝します。こうして働けている環境に、ありがとう。

 

 

昼間、仕事。オーナーの転勤にともなって賃貸入居者を募集していたコーポラティブハウスがあって、先日入居者が決まり、引越しを終えた。今日、その住戸にお邪魔する機会があり、入ったら、北欧の素敵な家具で室内が彩られていた。

 

ここ最近、サイドボードが特に気になっていて、いろいろ画像検索をしてしまうのが癖になっている。ハンス・ウェグナーかな?聞いたら、アルヴァ・アアルトだった。時間が経っても褪せない感じがすごく良い。部屋が引き締まって感じられた。

 

 

自分がその入居者と住まいを結びつける役目として携わることができ、そしてその入居者が、素敵な家具に囲まれて快適に暮らしているということを知る。この積み重ねが生きがいなんだなぁ、と思った。こうして生きがいをもてる環境に、ありがとう。

 

コーヒーを飲みながら

コーヒーを飲みながら有意義な時間を過ごすことの楽しさを、教えてもらえました。

 

正直、コーヒーの味の違いなんてわかりません。目の前に二杯別のコーヒーがあったとして、それを交互に飲めば、どっちが苦いとか、酸味があるとかはかろうじて分かるだろうという程度です。行きつけのパスタ屋でいつも飲むアメリカンだって、ブレンドですと言われたら信じて飲むに違いないです。「コーヒー好き」ではあるけれど「コーヒー通」ではない自分は、果たして「コーヒー好き」なんて言っていいのだろうか。

 

そんな味音痴、というか味無頓着な自分でも、美味しいコーヒーをきちんとつくって飲みたいと思うし、違いがわかるようになりたいと思います。そのきっかけを、かなり身近な場所で丁寧にコーヒーをつくっているあなたに、もらいました。大家さんが企画する手作り市で偶然出会ったのがきっかけです。

 

毎日コーヒーを飲むくらいだったら、ドリッパーなんて数百円で買えるんだから、それでつくったほうがいいに決まっている。今日、イベントで直接淹れてもらった、そのフィルターの中のコーヒー粉にゆっくりとお湯を入れて、時間をかけて一杯のコーヒーをつくる、その過程を見ながら、こうやって丁寧につくって飲むのもいいなぁ、と思いました。

 

いまこの記事を、スーパーで買ったインスタントコーヒーを飲みながら書いています。あなたのコーヒーをさっそく切らしてしまったからです。インスタントはこれはこれで、美味しい。ただ、多少なりとも味の違いが分かり、自分のお気に入りの一杯はこれだ、というものに出会いたい。出会えたら、もっと有意義な時間を過ごせるのではないかと思うのです。

ひらかれる建築

「近代社会が蓄積してきた技術と建築のストックを、自分たちの志向する生活に合わせて、人々が編集し始めた」この言葉を読んで、まさに自分が漠然とイメージしていたことを言語化したものに出会った、と思った。

 

大学時代、いわゆる建築家にあこがれて、設計演習に力をいれていた。徹夜だって、苦手ながら何回かした。徹夜明けの課題提出日早朝、図面を出力するために車で帰るその途中、何度事故を起こしそうになったことか。そんな、死と隣り合わせの状況で建築を味わい勉強していく中で、まわりの仲間と自分のセンスの差を見せつけられ、建築家という夢は、確か2年生の終わり頃には消え去っていたように思う。この挫折感は、サークル活動が楽しかったことによる高揚感で相殺され、今思うと結果オーライみたいな感じだけれど、その挫折にだけ目を向けると、結構落ち込んだと思う。

 

そんな自分が、建築学科で何を学んで、何を得て、社会に何を還元できるだろうかと考えたときに、漠然と思い描いていたこと。それはきっとこの本で言語化されているのではないかと思う。

 

このところ、グッドデザイン賞を受賞した作品(※)を見たり、雑誌やSNSで建築を街に対して開いた事例を見たりする。もはや、内にこもった、クライアントの生活の拠点としての住宅を供給するだけでなく(もちろんそれも必要なのだけれど)、その役割を終えつつある既存のストックをいまの社会に馴染むように「編集する」という役割が、求められているのだと思う。そして現にその役割を担っている人は、建築を勉強している人だけに限らない。様々な分野の知恵を持っている人が、建築と社会とをつなげるハブの役割を担っているのだと思う。そういう現状を見ると、大学時代にセンスのなさに落ち込んだ自分は、こういった仕掛けづくりの仕事に居場所があるのではないかと期待したりする。

 

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

 

 

(※) 

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これからの建築

昼間、仕事。竣工済みコーポラの管理組合総会に出席。議案は滞りなく、どんどんと可決されて進むなか、最後に自分から説明することとなっていた案件については、滞りなくとはいかず、課題を残すこととなった。どうしたらいまある問題を解決できるか。話はとてもシンプルで分かりやすいはずなのだけれど、そこには現実問題として、コストであったり、見栄えであったり、メンテナンスの可否であったりと、いろいろな制約がある。そうした制約を踏まえつつ、最適な解決案をきちんと提示できるか。そこに自分の存在意義がある。いつも思う、いつだって責任重大だ。

 

 

その後、建築家の光嶋裕介さんの著書出版記念イベントに行ってきた。こういうイベントにはほとんど行ったことがなかったのだけれど、ミシマ社のメルマガで知り、尊敬する建築家でもあり、関心があった。自分とそれほど年齢も変わらないのに、信念をもって丁寧に仕事をしている方だという印象があって、話を聞きたいと思った。

 

思想家の若松英輔さんとの対談という形で始まったイベント。その話のすべてが刺激的で、自分の仕事にも変換可能で、勉強になった。

 

「文章を書くことは、特定の相手に手紙を書くことと一緒。宛先を意識することが大事」自分が書いているこのブログでは、誰に向けて書いているかをほとんど意識していなかった。それって読みづらいことなんだな、と痛感した。

 

「設計をすること=『作品をつくる』という感覚が徐々に少なくなっていった。クライアントにどれだけ寄り添って考えるかが大切である」「仕事とは、自分のもつ限界を超えていくこと。そうやって頑張って作ったものに対して『自分の作品だ』といっていいのか、という違和感がある」自分が良いと思うものを作れば良いだろう、という自分目線で考えるのではなく、クライアントの目線にどれだけ近づけるかを意識したい。

 

「自分の名前はどうだっていい。自分が発した言葉だけが残ったら最高」本来、本という媒体を通して伝えたいことがあるというのは、そういうことなのだと思う。本を出すこと自体が目的化するのではなくて、伝えたい言葉があるからそれを伝えるために本を書く、という順番。自分も、ただ漫然と続けていればいいや、と思いながらブログを書くのではなく、特定の誰か(それは別に他者でなくても、自分でもいいと思う)に伝えたい言葉はなんだろう、と考えて、それをストレートに伝えることに徹したい。要はラブレターと一緒なんだ。

 

背伸びして大きな問題について考えるのではなく、大きなプロジェクトの実現ばかり夢見るのでもなく、目の前のクライアントの幸福の最大化のために自分がなにをすべきかを考える。顔の見えるクライアントのために自分のできることで最善を尽くす。それが仕事なのだと改めて思った。

 

光嶋さんにとってのドローイング。自分には果たしてあるだろうか・・・

 

これからの建築 スケッチしながら考えた

これからの建築 スケッチしながら考えた

 

 

死神の精度

昼ご飯を食べによく行くハンバーグ屋さんが駅前にある。笑顔が素敵で、気さくに話しかけてくれる店員さんが印象的だ。もちろんハンバーグも美味しいのだけれど、店に行こうというとき、どちらかというとハンバーグよりも店員さんの方が頭に浮かぶ。結局、行きつけの店は人間で決まるのだなぁと改めて思う。

 

その日もいつもの店員さんが、はち切れんばかりの笑顔で出迎えてくれた。行った時にその店員さんがいなかったことがあまりないので、ほぼ毎日出勤しているのではないかと思う。特に飲食業界は重労働で勤務日数が多くて大変というイメージがあるので、この明るさの裏では結構つらい思いをしているのではないかと勝手に心配している。それを彼女に口にしたら、きっと「仕事ですから」なんてサラッとごまかされるんだろうなぁ。「仕事だから」といって、普段できないことでも頑張ってやっちゃうというのは、私からしたらすごいことだ。仕事だからって、できないものはできない。

 

仕事が「もう憂鬱です。死にたいくらいです」と思うようなことの連続だとしても、仕事だからと割り切って振る舞っている中になにか光るものがあって、それを見ている人がいるかもしれない。そうして、光るものがもっと光り輝き、将来が明るくなることだってある。気さくに話しかけてくれる笑顔の眩しい店員さんと話をするたび、それを見ている人がきっといますよ、その明るさに触れて元気をもらっている人間が、少なくともここにひとりいますよ、ということを伝えたくなる。

 

その時、「死神の精度」を読んでいた。ミュージックを愛し、CDショップに入り浸りながら、人の死の可否を判定する死神「千葉」が出会う話。死をなんとも思わない死神が、実は生きていることに価値があるのだということをそっとささやいてくれている。そんな気がする。藤木一恵の境遇と、ハンバーグ屋における自分の目の前の状況がわずかに重なった。いいことがきっとありますよ、あたなの光を見ている人がいるんですよ、と藤木一恵に伝えたい。

 

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

 

 

待ってないで、行け

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地域との接点がもてる機会というのは本当に必要だと思う。自分からアクションを起こさなければ、どこまでも独りで孤独。自分から近づこうとしない限り、相手から近づいてくることはない。

 

たまの休み。日曜日の午前中を寝て過ごして、昼過ぎ、窓の外から聴こえてくるさわやかな歌声で、ようやく思い出した。あやうく忘れたまま一日を終えるところだった。毎年恒例のお祭りは、自分が他者と街を共有しているという事実を実感させてくれる。自分は独りではあっても、孤独ではないのかもしれない、と思わせてくれる日だ。「待ってないで、行け」聞き飽きたその言葉を、また自分に言い聞かせる。

 

妙典出身のクラリネットアーティスト、micinaさんの出演も、恒例。彼女の演奏を聴くことが大きな目的の一つになりつつある。その演奏は、決して「すごいテクニックだぁ」と驚きを与えるものではなく、きれいな音色で安心感を与えてくれる。いつもの生活の片隅にさりげなく鳴っている音にふさわしい。こういう方が音楽業界で頑張ってるんだから、自分も仕事を頑張らなきゃなぁ、といつも思う。

 

中高生を中心としたブラスバンド、観ていて楽しかった。演奏者が楽しそうにやっているのが、良い。自分自身、楽しかった大学サークル時代を思い出す。

 

美しいクラリネットの音色も。ブラスバンドの揃った音も。子供たちを喜ばせようと風船と格闘するピエロも。平日限定営業のため普段行けない自宅目の前のカフェが出店をしていた、そこでの焼きたてマフィンも。それぞれが、自分が地域というつながりの中にいるのだということを教えてくれる。

 

本屋での本の買い方

本屋での本の買い方が、定まっていない。「一回に一冊しか買わない」と心に決めて本屋に入り、その一冊を入念に選ぶこともあれば、気になる本を数冊同時に買うこともある。周期があるというよりは、そのときの気分、気まぐれで変わる。

 

今日はたくさん買いたい気分だった。いつもの本屋で、気になった本を4冊手にとった。文庫版小説、ビジネス書、新書というように、書式もジャンルもバラバラ。そのうちの一冊、「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか」を、行きつけのパン屋でコーヒーを飲みながら、読んだ。

 

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

 

 

ここしばらく、ビジネス書とは距離を置いていた。「そこから学ぶべきものなんてない」なんて上から目線で言っているのではない。自分が仕事ができないということは自分が一番良く分かっているから、仕事術という名の説教をされると気分が悪くなる。それに、例えば本棚に「スピード仕事術」という文字を見たら、自分がスピードのない仕事をしている人間だと思い知らされるようだし、「論理的に話す方法」という文字を見たら、自分の喋り方が支離滅裂であると思い知らされるようだから、嫌だ。しかし、その考えも一周して、仕事に役立つこともあろうから、そこから一つでも吸収して実践できたらいいな、と思うようになった。

 

仕事をきちんと終わらせるには、締切を意識してスタートダッシュをかける。締切直前に焦って徹夜して目を真っ赤にしながら「すみません、もう一日ください」というのではなくて、6割7割の出来でもひとまずすぐ終わらせて出してしまう。それから、10割を目指して調整する。当たり前のことだ。当たり前のことを、当たり前のようにできるようにしなければと思った。

 

 

昨日。たまたま財布を見たら、小銭が432円だった。よし、仕事帰りの駅前の本屋、ここで432円以内で本を買おう、と思った。定価400円の本なら、税込でちょうど432円だ。そう思って文庫コーナーに行って棚を見てまわったら、意外と400円以下の本が少ない。10分ほどうろうろして、ようやくこれだ、と決めて手にとったのが、川上未映子「乳と卵」だった。432円也。ちょうど持っている小銭ぴったり支払った時の、この達成感はなんだ?

 

乳と卵(らん) (文春文庫)

乳と卵(らん) (文春文庫)

 

 

著者は名前は知っていたけれど、作品は初めてだったので、好奇心で。豊胸手術に取りつかれてた女性と、しゃべらずノートに言葉を書いて伝える娘の話だって。

 

電車内で読み始めて、2ページ目ですぐ違和感を感じた。一文一文がとっにかく長い。「~であるから」「~のであって」「~のだけれど」と、丸がなかなかやってこない。私はいままでずっと「一文が長いのは分かりにくい悪い文章」と思っていたから、 これにはびっくりした。最初だけかと思ってページをパラパラめくったら、どのページもほとんど改行がない。薄い本だから一気に読めるぞ、という心意気が、みるみるしぼんでいった。

 

のちに、この作品はこの文体が特徴なのだと知る。流れるような、語りかけるような、なめらかな言葉の羅列が良いのだとか。芥川賞までとっている。それなのに、私にはなにかズシっと重たいものを感じる。

 

この本がきっかけで、「一文が長いのは分かりにくい悪い文章」というのは自分がそう思っていただけで、常識でもなんでもなく、固定観念に過ぎないのだと知った。評価される作品が必ず快適に読めるとは限らないということも知った。豊胸について語る母の話と口をきかない娘の日記が交互に登場し興味深く、先が気になるから読みたいのだけれど、読み終わるのにものすごい時間がかかりそうだ。

文化の日に、想いを書くということについて考える。

書くことを選んだのはなんでだっただろうか。何を書きたかったのだろうか。

 

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

 

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

 自分が普段考えていることだとか、何を感じたかとか、そういうことを文字にして整理して書いて、あとで見返すことができたらいいなぁ、と思ったのが最初のきっかけです。当時はてなダイアリーを選んだのは、デザインがきれいだったから。その後はてなブログに移行して、引き続き快適に使っています。

 

2.ブログ名の由来を教えて!

THE YELLOW MONKEY吉井和哉さんのソロ曲「WEEKENDER」が由来。休みの日を楽しく有意義に過ごしたいとずっと思っていて、楽しむためのツールとしてブログを始めたのだから、「休日をよりよく!」という想いをこめて、拝借しました。休日は頑張って書く。そのかわり平日は一切書かなくて良い、という自分ルールをつくったのも、最初からでした。

 


吉井和哉 - WEEKENDER(GENIUS INDIAN TOUR 2007)

 

3.自分のブログで一番オススメの記事

ブロガーさんに真っ向からほめてもらえた、思い出の記事です。自分自身、気持ちがかなり高ぶり、興奮し、財布のひもをゆるめ、素敵な人と出会い、コミュニケーションを深める中で、つくった財産。本日現在まだスカスカだけど、日々ちょっとづつ成長中。

 

bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

 

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

良かったことは、過去の記事を読みながら、「あぁ、あれから●年経ったんだ」とか「あの時そんなこと考えてたんだ」とか振り返ることができたこと。ブログを書いてなかったら、すっかり忘れてます。

 

気づいたことは、 自分の書く文章には特徴があって、書き癖があって、変わらない雰囲気がある、ということ。あと、自分の心の奥底にある考えの核のようなものは、何年たってもあまり変わらないのだということ。

 

5.はてなブログに一言

書くための快適な環境を与えてくださり、ありがとうございます。これからもどうか続けてください。

 

グッドデザイン

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グッドデザイン賞を受賞した作品が展示されている「GOOD DESIGN EXHIBITION 2016」に行ってきた。

 

www.g-mark.org

 

大きなフロアーに並んだ作品、ひとつひとつすべてを見るとあまりにも情報量が多すぎるので、意識してピンときたものだけに絞って見た。それでもたくさんのアイデアがあって、楽しかった。

 

見てまわって、パンフレットを読んで、大切だと思ったテーマは大きく二つ。

 

①人と人とをつなぐ仕組みづくり

②技術の進歩によってなくなった体験を取り戻す

 

①は特に建築で。もともと電鉄会社の社宅であった建物をリニューアルして一般賃貸住宅と公営住宅とし、まちに対して開放するというものがあった(ホシノタニ団地)。建物のデザインももちろん良いのだけれど、そうやって人を集めるしくみをつくっているのがすごいと思う。社宅という閉じた建物群をリニューアルして、外に開いて街づくりに寄与する。なにより、それが新しい建物を一からつくる新築ではなく、老朽化したマンションでやることに、既存ストックの活用という点で意味があるのだと思う。

 

www.odakyu-fudosan.co.jp

 

本を一冊しか置かないという「森岡書店」もそうだ。従来の本屋は、当たり前だけれどたくさん本があるから、そこに来る人の目的は多様。だけど本が一冊しかなかったら、そこに来る人の目的はその本しかない。すると、来た人同士のつながり、店と客とのつながり、作家と読み手とのつながりが生まれる。情報量が多い現在において、対象を絞るという逆の発想が面白い。

 

openers.jp

 

②は冒頭の写真にもあるスピーカーを見て。再生した曲の歌詞がモニターに映るだけでも衝撃的なのに、曲調を分析してフォントや文字の出方が変わるというのが、とことん音楽の聴き手目線に立っていてすごい。CDを買ってプレイヤーで聴く時代から、スマホでダウンロードして聴く時代になった。それ自体は否定するものでもなんでもなく、便利だし、良いことだと思う。だけど一方で、歌詞カードを手に持って音楽を聴きながら歌詞を読むという行為が、少なくなっているのも事実だろう。作家は、曲と同じようにその歌詞だって並々ならぬ力をいれてつくっている。言葉を一つ一つ、選びながら歌詞をつくっている。その情熱を味わう機会を、プレイヤーがつくる。こういう意思をもったデザインが、好きだ。このスピーカーは、ほんとに欲しいと思った。

 

lyric-speaker.com

 

先の森岡書店は、このテーマにもあてはまる。ネットショップを使えば外へ行かずとも自宅で注文できる。便利だし、そういう選択肢が増えたことで街の小さな本屋の価値が失われつつあると聞く。だけど、ネットショップにはできないことがある。それは実際に本屋に足を運ぶことで、思いがけず良書に出会ったり、人と人が出会ったりするチャンスを生むことだ。

 

 

人の生活がいままでよりちょっと楽しくなるような仕組みをつくることこそが、デザインなのだと分かった。

 

有意義に落ち込む

夕方、少し仕事。運営サポートをしている管理組合の総会で、また言わなくてもいいことを言ってしまった。あれほど「しゃべりすぎるな。何も口を出さず終わったらダメだけど、言うべきこととそうでないことを区別せよ」と自分に言い聞かせて臨んだのに、うまくいかない。

 

だいたいが、準備を怠る自分のなまけ癖が原因だ。どうやって説明すればきちんと伝わるか、それを前もって準備しないといけない。それでも、特に大きな議案がないとか、他の案件で精一杯で気が回らないとか、楽する理由ばかりを集めて準備不足を正当化する。これはまずい。

 

 

仕事でミスをしたなぁと落ち込む時は、まずはとことんまで落ち込もうと決めている。どんよりとした気分を、それが消え失せるまで全身で受け入れる。「もう過ぎたことだ、くよくよしても仕方ない」と開き直るのはやめようと思っている。他人が見たら「あ、あのひと何かあって落ち込んでるな」とひと目で分かるだろうなぁと思うくらい、分かりやすく凹む。そうしようと決めている。その時間がどんなに憂鬱でも、時間が経てばいずれ気が晴れるということを知っているから。

 

こういうとき、まっすぐ帰宅しようという気になれず、たいていどこか、居心地が良くてよく行く場所に立ち寄りたくなる。落ち込んでいる時間を大切に。有意義に落ち込むために。

 

と言って、行くのがオシャレなカフェとか、粋なマスターがいるバーとか、賑やかな酒場だとか、そういったところではなく、平凡なチェーンのパスタ屋さんなんだから、ダサイなぁとも思う。でも、ダサくてもいいや。窓から見える道路脇のオリーブや、正面の本屋で本を見繕っている人をぼーっと見ているだけでも少しづつ心が晴れてくるし、だいぶ顔なじみになりつつある店員さんの顔を見るだけでも、仕事のミスによるダメージを減らすことができる。ここが自分にとっての「退避場所」なんだと思う。

 

 

ストレイテナーホリエアツシさんが以前、落ち込みたい時に聴くということで「Carissa's Wierd」というバンドを紹介していた。普段あまり落ち込まないという彼は、「こんなに嫌なことがあったのに、そんなに波風たたないの、自分?」と思ってしまい、とことんまで落ち込みたい時があるのだとか。そういうときはこの曲を聴く、という出会いって、いいなぁと思う。

 

落ち込みたい時に聴く曲か・・・自分の場合、居心地の良い場所に居て、顔が死んでいるような状態でもそっとしてくれる人が居て、そこでの時間を数十分過ごせば、有意義に落ち込むことができる。

 

吉祥寺のソファとサイドボード

趣味、と言えるほど深く知識を得ているわけではないが、このところ好きでのめり込んでいるものに、家具屋サイトめぐりがある。壁面本棚をつくったことがきっかけで、シンプルでかつ存在感のある家具が好きになり、いろいろなサイトを覗くようになった。

 

実家の近くの東松山に店舗があって、良質な家具を仕入れている家具屋の存在をつい最近知った。地図を見て、あの辺にこんな素敵な家具屋があったのか、とびっくり。倉庫の中にたくさんのヴィンテージ家具や照明器具、雑貨類が並んでいるのだとか。東松山で販売していて果たして儲かっているのだろうか、などといらぬ心配をしていまう。帰省時の楽しみがまたできた。

 

www.bellbet.net

 

吉祥寺にショールームがあって、椅子フェアが今日までということだったので、行ってきた。何十年も前から人に愛され続けた良質な椅子を見ることで、目の保養になればと思った。実際、そのデザインのシンプルさ、部屋にすんなり馴染むのではないかと思うような自然さがすごく良くて、刺激になった。

 

これかっこいいなぁ、こういうのが家にあったらいいなぁ、と思う一人掛けソファやサイドボードがある。調べたら、デンマークの家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーのデザイン家具だった。

 

一人掛けソファは「GE290」。松浦弥太郎さんの「日々の100」に登場する中目黒のソファに心奪われたのがきっかけ。正規品の値段を見るとびっくりするけれど、こういうソファでくつろぎたい、という夢は変わらない。

 

http://livedoor.blogimg.jp/bellbet_showroom/imgs/7/c/7cb1628f.jpg

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日々の100 (集英社文庫)

日々の100 (集英社文庫)

 

 

サイドボードは「RY25」。正面の扉がジャバラになっていて、一枚の板のように見えて実はそうではないのだとか。写真ではどう見ても一枚の板なんだけど、どうなってるんだ?と不思議な感覚に陥る、シンプルなサイドボードだ。

 

http://livedoor.blogimg.jp/bellbet_showroom/imgs/4/8/487cb65b.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/bellbet_showroom/imgs/4/8/487cb65b.jpg

 

こういう家具に囲まれたい、という漠然とした想いがある。それを実現するために、どうしようか、と時間をかけて考えるのが、楽しい。実は、正規品をそのまま買おうとは思っていない。なんとかそこにほんのちょっとだけ、自分のオリジナルを、というとおこがましいけれど、自分の色を加えたいと思ってしまう。モチーフは限りなくハンス・ウェグナーデザイン。そこに自分のこだわりを少しだけ。家具だって、もっと自由につくったらいいんだ。

CDが見つからないストレス

THE YELLOW MONKEYの新曲「砂の塔」をCDで聴きながら、書いている。初回盤、ボーナストラックにはライブ音源が12曲も!いま「楽園」。命の鼓動が動脈のハイウェイを駆け抜けていくのが分かる。掃いて捨てるほど愛の歌はあるから、好きな曲だけを聴く。

 

 

さかのぼること、3時間くらい前。発売日を含む平日にはなかなかCDショップに行けなかったので、休日の今日、買いに行こうと隣の行徳へ。なんせすぐ近くにCD屋が、ない。

 

すぐに見つかるだろうと思ってスーパーの中のCDショップに入ったら、ない。恐る恐る店員さんに聴くと、売り切れで入荷待ちとのこと。初回盤が手に入らないという不安が募る。その隣町にはまたCD屋がなさそうなので、浦安まで行く。スーパーに入って、またなくて、小さなCD屋に2軒入って、両方ともない。いよいよヤバイ。面倒だけど都内に行くしかないか?ネットショップか?いやいや、なぜってうまく言葉では説明できないんだけど、こういうときアマゾンや楽天には頼りたくない。ジャケットを手にとって、レジに渡して、お金を渡して、受け取りたい。

 

なかば放心状態になり、空腹も重なった。一旦帰ろう。帰って腹を満たして、夕方都内へ行く用があるから、そのついでに大きめのCDショップに行こう。それまでにどうか初回盤がなくなるなんてことがありませんように。それにしても、CDひとつ買うのに、こんなにストレスを感じるとは思わなかった。浦安駅の改札をくぐり、ホームへ向かおうとしたら、改札内文教堂があるのが目に入ったので、ダメもとで行ってみる。本ばかり。やっぱりダメか。CDなんて置いてやしない。と思ってホームへ行こうとしたら、レジ脇にCDの棚が。そして、目指していたジャケットの青が目に入り、拍子抜けした。なんだよ、こんなところで出会うのか。駅を降りる必要なかったじゃないか。

 

今日の教訓。このところCDを買う頻度なんてそんなにないんだから、買いたい時に限って近くに買う場所がないことに対して、文句を言うな。

 

軽い足取りで帰り、行きつけのパスタ屋でちょっと遅めのご飯を食べ、帰宅し、さっそくCDをかける。このドキドキ、昔はしょっちゅうだったのに、いまだに慣れない。

 

「砂の塔」はストリングスも混じり、深い音の層に包まれるような印象。かっこいい。「ALRIGHT」も、聴くほどにその歌詞のメッセージが突き刺ささる。なにより、いまここでこうして聴けていることが奇跡と思うんだ。

 

 

いま「球根」。ティザー映像で猿が「10分超」って言ってたもんだから、特に期待していた。長さの訳は、そういうことか。「球根」には、いまの彼らだからこそ出せる、大人のロックの匂いがする。この曲が好きでよかった。

 


イエモン、入門。篇 『砂の塔』スペシャルティザー映像 第四弾

 

コーヒーが冷めないうちに

喫茶店が好きだ。コーヒーが好きだ。正確に言うと、喫茶店でコーヒを飲みながらのんびりする時間が好きだ。この時間への愛は、社会人になりたてのころからほとんど変わらないように思う。営業で外まわりをしていたとき、ちょっと休憩しようと入った喫茶店での時間が、自分に与えてくれた癒しの効力は計り知れない。

 

コーヒーは昔から大好きで、とはいえいまは毎日何杯も飲むほどではなくなったけれど、美味しいコーヒーをいろいろ味わいたいという想いは常にある。缶コーヒーは、飲まなくなってだいぶ経つ。なんか邪道な気がするからだ。そうじゃなくて、別にこだわるほどではないのだけれど、ちゃんと人が(もしくは自分が)つくったコーヒーを、飲みたいと思う。

 

銀座にある店舗に出会ったのがきっかけで、大好きになったのが、南蛮屋。ここはそんなに敷居も高くないし、いろいろな種類のコーヒーが楽しめる。ぶるまんNo1が一番かな。ビスケットもオススメ。コーヒーを飲みながら一緒に食べようものなら、止まらなくなる。

 

www.nanbanya.co.jp

 

自宅近くでコーヒーを目当ての喫茶店に入ろうとすると、本八幡に行くしか選択肢がない。本八幡には、静かで居心地がよく、内装も素敵な喫茶店がある。千葉出身らしい写真家さんの絵葉書がそっと売られていて、あたたかい人間味を感じるのだ。社会人一年目を過ごした思い出の街で、何も考えずのんびり過ごす時間は格別。

 

今日、昼間吉祥寺で仕事があった。その帰りの総武線で、このまま本八幡まで行っちゃおうかなぁと思ったけれど、疲れてて帰りたいという気持ちが勝ってしまい、行けなかった。この喫茶店は、もっと自分の気持ちに余裕があるときに行きたい。

 

cafeyawata.exblog.jp

 

もっと近くにコーヒー屋はないのか、と思っていたら、手作り市で豆屋に出会った。オリジナルブレンドのパックコーヒーを買って飲んだら美味しかったので、違う味も試してみよう。いまはネット販売が中心だけれど、カフェ出店を目論んでいるようで、楽しみ。身近な居場所をつくりたい。

 

www.connect-coffee-company.com

 

いま、これを読んでいる途中。「過去に戻れる」という喫茶店が舞台。過去に戻ってどんなに努力しても、結果を変えることはできない。それでも主人公は過去に戻ろうとする。そして、結果は変えなくて正解なのだと気づく。

 

この本を書店で手にとったのは、なんでだっけ?そうだ、行きつけのダイニングに行く前に、そこでご飯とコーヒーのお供に読むための本を見繕っていたら、「コーヒー」の文字と淡い茶色の表紙が目に飛び込んできたんだった。美味しいご飯を食べながら、コーヒーを飲みながら、喫茶店を舞台にした小説を読むなんて、素敵じゃない。

 

休日の自分時間に、コーヒーは欠かせない。

 

コーヒーが冷めないうちに

コーヒーが冷めないうちに

 

 

砂の塔

この15年間を、首を長くして待っていたと言ったら、うそになる。彼らに「15年間待たせてゴメン。」と謝られるほど、彼らのことを怒りながら待ち続けていたのかと聞かれると、違う気がする。

 

中学高校時代は、彼らの音が身近にあることが当たり前だった。新曲が出る度にCDを買う興奮を味わっていた時期だ。しかし解散して、その生活は一変した。それでも、彼らの新しい音がないことにも徐々に慣れて、いつしか当たり前になった。当時の曲を繰り返し聞くことで、生きていけた。寂しさはあまりなかった。ソロで見たり聴いたり出来たし。だから、いまも「久しぶりだなぁ」という懐かしい感が、そもそもない。ないことが当たり前だったいままでの生活に、かつて眩しかった光が加わって、ちょっと贅沢になったくらいの感覚だ。

 

 

新曲のCMでのお母さんの言葉を聞いて、感動した。あぁ、待ち焦がれて再会するってこういうことなのか、と。娘が若者らしいイントネーションでぶっきらぼうに言い放つ。その時間の長さを余計に感じさせる。

 

お母さんの涙に、世間の気持ち、そこには当然僕の気持ちも含まれるのだけれど、それがすべて凝縮されていると思った。この涙こそ、15年待ってたファンの気持ちだ。だから、お母さんのあの涙に、ぐっと来るものがある。再集結なんてないんだろうなぁと諦めてた自分は、バカだ。

 

来週は、いち早くCD屋へ行って、初回盤を買わなければ。表題曲とカップリング(といっても再集結曲「ALRIGHT」だけど。これをカップリングと言うのか?)のほかに、ライブ音源が12曲。合計14曲!!これをシングルと言っていいのかい?

 

 


砂の塔 / THE YELLOW MONKEY

 


収録曲解禁篇 『砂の塔』スペシャルティザー映像 第二弾

 


母と娘とザ・イエロー・モンキー 『砂の塔』CM

ほんとうの味方のつくりかた

今日は、壁面本棚をつくってくれた家具屋さんが出展している表参道のギャラリーに行ってきた。場所柄、繊細で芸術的な作品が集まっていて、きっと自分が手に取るようなものはほとんどないだろうと思ったけれど、見るだけでも自分のセンスを磨くきっかけになるのではないかと期待しながら、休日でにぎわう表参道を歩いた。展示されている作品が放つ敷居の高さを感じさせるにおいに気圧され、結局焼き菓子だけ買ってそそくさとギャラリーを出た自分は、いつまでたっても田舎者だ。

 

 

大手町駅で地下鉄を乗り換える途中、好きでよく行く文房具屋「ノイシュタットブルーダー」に立ち寄る。小さな書籍コーナーがあるのだけれど、ここの本のセレクトセンスが、とにかく良い。もしかして自分のためにセレクトしてくれているんじゃないか、と思うくらいだ。松浦弥太郎さんの本は、たいていここで買う。

 

ほんとうの味方のつくりかた (単行本)

ほんとうの味方のつくりかた (単行本)

 

 

自分ひとりでできることなんてたかがしれている。自分のことを助けてくれる味方をどうやってつくるべきかが、いつもの丁寧で優しい文章で示されている。家族や友人など「外側の味方」と、健康や時間、情報など自分の内面をつくる「内側の味方」。それぞれを味方につけるためにはどうやって行動したらよいか、あれでもないこれでもないと考えること、さらにもっといい答えがあるだろうと考え続けることが、必要なのだと分かった。

 

大手町で乗り換える機会には、必ずこの文房具屋に立ち寄る習慣が身についている。今日なんか、表参道駅までの複数のルートのなかからわざわざ大手町駅経由のルートを選んだくらいだ。しかしこれ、お気に入りのお店で文具を見たい、というより、松浦弥太郎さんの新しい言葉に会いたい、という気持ちだったと言ったほうがしっくりくる。「本を読むということは、情報収集を目的とするというよりは、その著者の話を聞く、という感覚」という言葉があって、まさにそのとおりだと思った。