2021初詣

昼間、自宅近くのお寺へお参りに。今年一年の身の安全を祈る。

 

こういうとき、敷地内の大木に、庭園に鎮座する大きな石に、畏敬の念を抱く。それが存在する長い時間と、自分の身に起きる出来事が自分を悩ます短い時間とのギャップに、驚き、自分が小さく弱い存在であることを思い知らされる。大きく強いものを目にすることで、相対的に小さく弱い自分が浮き彫りになる。そのギャップを思い知るために、お寺に足を向かわせているのかもしれないと思った。

 

街を歩けば、まだ2日だというのに、お店をあけている花屋やケーキ屋がある。自分が、休まなければ、休んで英気を養わなければ、と気を急かしている一方で、すでに働いている人もいる。そういう人がいるおかげで、正月の部屋を彩る花も買えるし、おやつだって食べられる。自分の境遇だけが世界ではない。自分の悩みなんて他人には分からないだろう、と諦めるのと同じように、自分にない悩みをもっている人だってたくさんいる。

 

何が言いたいのか分からなくなってきた。無理やりまとめると、大切なことは、自分は小さく弱いものだと認めることと、気づかないから見えていないだけで自分にない境遇がまわりにはあるのだと認めることだ。なんとなく身が軽くなったような・・・。