感動と感謝

仕事終わり。かろうじて営業していたいつもの駅前の本屋で、新刊を見つけてすぐに手に取った。こういうときに躊躇わなくなったのは、最近になってからのことだ。

 

「利益の本質、それは『感動』です」自分は仕事を通して他者に感動を与えているのだということに気づいて、そのことを意識すると、自ずと行動も変わってくるのではないか。なにかこう、やる気が起きないなぁ、とか、やりがいがないんだよなぁ、とか、愚痴を言いたくなるようなことは、たくさんある(他人にも、あるんだよなぁ?もしかして、自分だけなのか?)。けれど、いまこれを頑張ることで、目の前のクライアントに価値を提供して、それが期待通りのもので終わるんじゃなくて、「そこまでしてくれるとは思わなかったよ」という感動につながれば、その仕事は先へとつながっていくし、やっている自分も楽しくなってくる。仕事とはそういうものなんだと、自分に言い聞かせている。

 

「感動」ともう一つ自分なりに言葉を当てはめるならば、それは「感謝」だと思っている。利益の本質、それはクライアントからの「ありがとう」の総量だというのがいまの自分の考え。ありがとうと言ってもらうことが目的だし、そう言われたときになんとなく心臓がぞわぞわってする感じ、その感覚を味わうことへの期待こそが、仕事への原動力なのではないかと。

 

成功するための条件は何ですか、と聞かれたら、「何かに詳しくなること」と答えるのだという。何かに対して詳しいということ。自分にとってのその「何か」とは何か。建築?いやいや、全然だめだ。コーポラティブハウス?いやいや、恥ずかしくてとてもじゃないけど詳しいだなんて口にできない。その道一筋の職人さんのような「これ」というものがない自分は、「これに関しては詳しいですよ」と言い張れないまま社会人を14年続けていることになる。これって、本当に社会人と言えるのか?ふと冷静に自分の働き方を振り返り、恐ろしくなってしまった。

 

自分の働き方、進み方について、立ち止まって考えることが多いこのところ。いまのこのギスギスして、落ち込みがちな状況が、それで本当にいいのかと自分に言っているようにも思える。自分そのものの弱さだったり、働き方の危うさだったり、そういった、いままでなんとなく自分の意識の隅に隠れていたものが、目に見えないウイルスによって露呈したのかもしれない。見つけてしまったからには、そこから目を背けるのではなく、きちんと向き合わなければならない。幸い、ひとり家でじっくり考える時間は、ある。