単行本と文庫本と

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昨日、至福の時間を過ごした古民家カフェには、これまた素敵な本棚があった。側板がゆるやかなカーブを描く曲線になっていて、和室になじんでいる。誰の部屋にでも、どこの本屋でも置けるようなものではないと思う。この空間だからこそ似合うんじゃないかと思うような、唯一無二感がそこにはあった。

 

そして並んでいる本のセレクトも、良い。詩集だったり、ギャラリーの事例集だったり、エッセイだったり。古民家でゆっくりと時間を過ごすお供に、ぴったり。思わず「これ借りていいですか?次回来た時に返しますから」と本気で言いたくなったくらいだ。

 

そのなかに、松浦弥太郎さんのエッセイを見つけた。自分の好きな方の本がこうしてセレクトの中にあるのを見ると、自分が好きだと思っている作家さんを同じように好きだと思っている他者が、しかも身近に(いま目の前に)いるのだと分かり、無性に嬉しくなる。しかも「初エッセイ集」とある。エムカンを運営されているときの、本当に初期のエッセイ集じゃないか。これは、本当に恥を忍んで「貸してください」と言うっきゃないか?と思いながら、ページをパラパラとめくっていたら、自分も持っていることに、ようやく気付いた。本業失格。単行本で装丁も違うから、分からなかった。自分がもっている文庫本とは、妙に印象が異なる。

 

本はできるだけ単行本ではなく文庫で買いたい、と常々思っていた。文庫か新書。そのほうが持ち運びやすいし、読みやすい。単行本はかさばるし、ハードカバーだったりすると持っていて重い。なかの文章に興味があって買うんだから、新刊に飛びつくとき以外は、文庫化したものを買いたい。そう思っていた。

 

しかし、こうして文庫との表紙のイメージの違いを見てしまうと、単行本で読みたい本もあるのだ、と思える。好きなミュージシャンの曲は、ダウンロードして聴くだけじゃなくて、CDで買って、ジャケットや歌詞カードのデザインまでひっくるめて味わいたい、と思うのと一緒だ。ハードとしての本のデザインをひっくるめて、本なんだなぁということを、実感した。

 

本業失格

本業失格

 

  

本業失格 (集英社文庫)

本業失格 (集英社文庫)