使う意味を考えたことがあったか?

日曜日にも関わらず、壊れたエアコンを交換してくれている電気屋さんを尻目に、ブログを書いてます。工事屋は基本、休みの少ない仕事。おつかれさまでございます。

 

この本をいま読んでいる。

 

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~

 

 

私も、事務所の仕事上、facebookのアカウントをもっているけれど、最初にアカウントをつくったときは、使う意味を真剣に考えていなかった。投稿することに価値を感じていなかったし、自分が丸裸にされるだけではないかと思っていた。「本名をさらすなんて、自殺行為じゃないか」とまで思ってた(いま思うと、どうして死ぬのか分からないにも関わらずダダをこねていたわけだ)から、周りのみんながどれだけ熱中してやってても、自分は絶対にやならい、と決めていた。それが・・・やむを得ず利用するようになってから今日まで、それなりに楽しんでいるのだから恥ずかしい。

 

熱中するユーザーやそのシステムに対して、否定的な意見も多いfacebook。それについて、好意的な意見をズバッと言っていて痛快だった。期せずしてハマってしまった自分を正当化する手助けをしてくれたみたいだ。投稿することによるリスクなんて、考え出したらキリがない。そのリスクだけをとらえて神経質になるんじゃなくて、投稿を読んでくれた友達から情報を得られるメリットと天秤にかけて、メリットが期待できるのならそっちに流されてみよう、という気楽さが必要なのかもしれない。

 

フツーだったら、特に用事がなければ会えない、会話できない疎遠な友達との人間関係さえも緩く維持できるツール。そして、等身大の自分を正直に映しだしてくれて、自分の信頼性を保証してくれるツール。そんなツールを使って、ストレスなく自分らしさを投影できたら、いい。

 

それでも、長年このブログを使っている自分にとっては、facebookのような簡易投稿よりも、一定の緊張と苦痛をともなうブログのほうが使いやすいんだよな。