「時間を忘れる」ということ

この土日、ほとんど外に出ませんでした。

特に今日は、ジョギングすらサボってしまった、とうとう。

反省してます。

1週間後には30キロマラソンが控えてます。

そろそろ本気だします。


今日はほとんど家の中で本を読んでいた。

コーヒーも10杯くらいは飲んだ。

村上春樹の「1Q84」

小説は普段ほとんど読まないのだが、面白そうなので買って読んでみたら、見事にハマった。

世界に引き込まれる感じ。

まだ途中だけど、先がすごい気になる感じ。


ときどき届くJAFの会報「JAF Mate」
それを何気なく読んでいたら、そこには長嶋一茂眞鍋かをりの対談記事が。
そこではこんなやりとりが。

眞鍋「キャスターなどをされていると情報収集の読書も必要ですよね」
長嶋「いや、仕事のためというよりは、ただ本を読む事に集中したいんです。子供は時間を忘れて、真っ暗になるまで遊んだりするでしょ。(中略)大人になってもそういう時間を持ちたいんです」

ぼくも最近そう思います。
子供の頃はとにかく時間を忘れて一生懸命遊ぶ。
日が暮れて帰りが遅くなって親に怒られることもあまり気にしない。
(ぼくはどちらかというと気にしてた記憶があるけど・・・)

でも今は違う。
あまり時間を気にせず何かに没頭することはない。
特にここ最近は効率重視を説くビジネス書の影響でしょうか、
「それが自分にとってためになるのかどうか」という判断基準をもって考えて、それに従って決断をする。
直接自分の仕事に直結しないこと=無駄と考えてしまう。
だから今、ぼくの本棚を冷静に眺めてみると、
「仕事力」とか「整理術」とか「知的生産性」とか「勉強法」とか、
そういった単語が題名に載ってる本が圧倒的に多い。
まるでそれを読んでこうなりたいって分かりやすく思っているかのように。
この無意味に積まれた蔵書は、そのまま自分の知識の無さに対する不安を意味している。
蔵書を眺めているだけで、(実際には読んでないものもあっても)知識を得た気になって安心している。


それじゃぁよくないな。
せっかく本読んでても意味がない。



日が暮れるのも忘れてはしゃぎまわる少年のように、時間を忘れて没頭する時間があってもいい。
その知識が自分の仕事に直結するかどうかという判断基準をいったん捨てて、
ただ読みたいと純粋に思った本を集中して読む。
それを実践してみた一日でした。

「1Q84」はまだ半分しか読んでないが、それでも声に出して読みたいと思うほど(実際声に出して読んでいました)面白い話です。
小説の世界にどっぷりハマるきっかけになりそうです。