フェスと手作り市

3連休の初日は体調を崩し、自宅で休んでいた。風邪と筋肉痛を同時に身体に抱え、久しぶりに何もせず、じっとしていた。こういう時間も大事なんだろう。自分の働き方、身体への接し方を見直すきっかけになる。

 

夜、なにげなくネットサーフィンをしていて、ミスチルの櫻井さんと音楽プロデューサーの小林武史さんがやっているap bank fesがこの連休に行われていることを知った。今年はRYUICHI、SUGIZO、INORANが出演するとのこと。こういった、様々なミュージシャンが出て音楽を盛り上げる企画を知る度に、音楽には人を集め、元気にし、たとえ環境問題だけでなくても、身近に感じるようになるきっかけとなる力をもっているのだと気づく。日本でこうした情報を発信する担い手の一人であるLUNA SEAのファンであることを誇りに思う。

 

翻って、自分は。以前から手作り市とかマルシェとか、要は作家さんが集まって自身の作品を発表する場に足を運ぶのが好きだ。店に置かれているものを買うんじゃなくて、作り手の顔を見て、知って、話をして、信念を聞いて、それで買うのが好きだ。手作り市はいろいろな作家さんが集まる。そこで偶然の出会いがあると、もしそこに足を運んでいなかったら一生知ることがなかったんじゃないかと思えてくる。その偶然の出会いが、自分にとって貴重なものだと思えてくる。これまでそういったイベントのおかげで、家具屋さんにも紙文具屋さんにも画家さんにも会えたし、価値観の合う人との出会いもあった。

 

自分は、こういった作家さんが集まって価値を発表する場所をつくりたいんだと思っている。その根源には、自分は作家の立場には絶対になれないんだというコンプレックスがある。どんなに神経を研ぎ澄まして絵を描いたって、人の心を動かせる絵は描けないし、他人に手にとってもらえるようなものをつくる器用さももっていない。だけど、素敵な作品をつくる作家さんがたくさんいるということを、自分以外の人に教えてあげることはできるかもしれない。だから、自分だったら知れてラッキーだったと思えるような作品を紹介するマーケットを企画したい。それが、いまの自分の身近な場所、例えば自宅アパートの中庭だったり、大家さんが運営するレンタルスペースだったりしたら、最高に楽しい。

 

そうか、この考え方は、いろいろな音楽を広めるフェスを企画することと同じなんじゃないか。自分の好きなミュージシャンの曲だけを聴くんじゃなくていろいろな曲を聴いて、好きになるきっかけをつくる。自分だって、何年か前にロックインジャパンフェスに行ったおかげでgoing under groudの良さを再認識したし、locofrankのかっこいい曲も知れた。フェスのようにいろんな参加者に触れて、刺激を受けるという体験は、そのまま手作り市、マルシェに参加して刺激を受ける体験と重なるんだと思う。そういう体験を生み出せる企画を、自分なりの視点でつくれないかなぁ、なんて考えている。

 

魂を抜かれないように


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とかく気が滅入りがちな季節だけれど、自分にとっては、結構好きな季節だったりする。太陽光がじりじりと肌を焼いて、汗が出てきても、それでも負けないぞ自分は、と思える。実は、結構ではなく、大がつくほど好きな季節だ。

 

昔、幽遊白書というアニメが好きでよく観ていた。そのなかで、「あつい」と言ってはいけない、もし言ったら魂を抜かれてしまう、というゲームをするシーンがあった。「タブー」という能力をもつ海藤と蒸し風呂のような部屋で頭脳合戦をするのだが、「暑い」と言ってはいけない他、「ああ。ついでに」というように「あ」と「つ」と「い」を繋げて言っただけでダメ、という無茶苦茶なルール。そんな破天荒なルールを当時はフィクションだからと面白がっていたけれど、いまになって、「病は気から」じゃないけれど、それに近い真面目な意味も感じとることができる。「暑い」と口にするから暑く感じ、嫌な気分になる。だから、言わないようにしよう。魂も抜かれちゃうし。そう思って、真面目な話、今日まで来ている。

 

夏。大好きな季節だ。仕事で久しぶりに訪れた仙川駅前には、サルスベリが真っ赤な花を咲かせていた。この時期に堂々と花を咲かせるサルスベリの生命力に、あこがれる。自分もそうでありたい。魂なんて抜かれている場合じゃない。

 

リネンシャツ

マーガレットハウエルのリネンシャツを好んで一年中着ている、と尊敬する松浦弥太郎さんが言っていて、すぐに真似をしたくなった。もともとリネンの素材感を好きになったきっかけは忘れてしまったけれど、もしかしたら彼の言葉だったのかもしれない。それくらい、シャツに限らず、リネンのもつ肌触り、清潔感に、ひかれる。

 

確かあったはずだと思って足を運んだ銀座の松屋でマーガレットハウエルを見つけ、ちょっと背筋を伸ばして、覚悟を決めて、入った。そしてすぐ、そういえばしばらく前、リネンシャツを見にここに来て、店員さんに「いまは扱っていないんです」と言われてしょぼんとしたことを思い出した。そうだった、ないんだった。

 

一応店内を見て回って、店員さんに「リネンシャツを探してるんですが」と尋ねたら、「ありますよ。セール対象外ですが」とあっさり言われ、拍子抜けした。手に取って、その素材感に触れて、これだ、と思った。サイズだけが心配だったので一応試着して、問題ないことだけ確かめたら迷わず、これください、と口にしていた。値札を見ていなかったことに気づいたのは、レジでカードを出して、店員さんに電卓の数字を見せてもらった時だった。一瞬ビックリしたけれど、もちろん後戻りはできないし、その分着つくしてやろう、という覚悟ができた。

 

マーガレットハウエルのリネンシャツは、襟のデザインが良い。だから、一番上のボタンまで閉めるのがポイントだ。松浦弥太郎さんがそう言っていて、最初はそんなばかなと思っていたけれど、なるほどと納得。シャープな襟のカーブが、第一ボタンをはずした状態だと見えない。よくできてると思った。

 

 

昼間、ちょっと仕事。クライアントとプロジェクトの打合せ。仕事が遅く、スタッフの手を煩わせてしまってばかりな自分だけれど、打合せは気を引き締めて、クライアントの利益を最大限考えたい。第一ボタンまで閉めたリネンシャツで自分に渇を入れる。シャープな襟のラインのように、仕事の思考も、シャープに。そしてゆるぎなく。

 

白のシンプルなリネンシャツを、違和感なく着ることができるオトナになりたい。

 

続・日々の100 (集英社文庫)

続・日々の100 (集英社文庫)

 

 

青い世界

 

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相模原の手作りマーケットで出会った作家さんの個展で、銀座へ。空、海、夜の街、そして鯨。青くて、幻想的な世界を描いた絵がとてもきれいで、その世界に引き込まれるよう。

 

hiromi-hashimoto.com

 

風景の形に切りとった不定形のポストカードは、本来の目的である「他人に贈る」のにはもったいないと一瞬思ってしまうくらい、絵として完結している。さてこれをどのタイミングで、誰に贈ろうか、とあれこれと考えている。

 

これらの絵に魅力を感じるのはなんでなんだろう。今回、青い世界に森というモチーフが加わった絵の数々を観ながら、考えた。きっと、絵の中の静けさ、現実社会を逸脱した感じ、対人関係のストレスややらなければならないことに追われるストレスから遠く離れて自分だけの時間を過ごせそうな世界に、自分もそこに身を置きたいという憧れを感じるからなのではないか。その絵をじーっと眺めている間だけ、自分がその憧れの空間に身を投じているんじゃないかと思う。

 

sakusakuとTHE YELLOW MONKEY

tvkの「sakusaku」を以前よく見ていて、黒幕さんのトークの面白さに度肝を抜かれ、大笑いし、感動していた一人だ。そのトークの面白さを、「sakusaku」が終わった今も楽しめることはもちろん、そのトーク番組とイエローモンキーが結びつくなんて、ほんと夢のようだ。HEESEY兄貴のこの「陽気さ」、興奮せずにいられない。上機嫌とはこうなければダメなんだ、と思う。ゴキゲンなベーシスト。本当に尊敬する。

 


関内デビル18 05.16.3HEESEY 登場

 


関内デビル18 05.16.4 KISSバカ売れ  HEESEY登場

 

ギターのEMMAさんもbrain child's で出ていて、ホントに~?ってなった。HEESEY兄貴とはまた違った、クールなカッコよさよ。カレー好きであることにもっと誇りを持とう、自分。

 


関内デビル18 04 11 3 一日二食 brain child's登場

 

Easy Go

「Easy Go」頭の中を、この曲のメロディが鳴り響いている。いつものカフェでも。その途中の道でも。美容院でうとうとしている時でも。上機嫌で行こう、不機嫌でいたらダメだ、という自分の気持ちはおのずと、上機嫌でハイテンションな曲を欲する。

 

30周年記念ツアーのファイナルに奇跡的に参加することができてからというもの、彼らが放つエネルギーに身をゆだねている。「今宵の月のように」とか「悲しの果て」とか、こういう名曲を経て至るいまの彼らが出す直近の新曲が「RESTART」そして「Easy Go」。これを上機嫌と言わずして何を上機嫌と呼ぶ?この年齢で、ピョンピョン跳びはねながら声を絞り出す。これまでのキャリアの重みを出すというより、若いころのストレートなパワーを放出しているような感じだ。そしてこのキー。歌いづらいとか、喉がやられるとか、そういう気持ちは一切ないのだろうか。むしろ限界に挑戦しているような感じか?

 

どこで息継ぎしているのだろう。このテンポで歌える気がしない。全速力で走るようなメロディが、落ち込みがちな自分をアゲてくれる。「俺は今日もメシ喰って出かけるぜ」。

 


エレファントカシマシ「Easy Go」Short ver.

 

酒とコミュニケーション

プロジェクトが一段落したので、事務所の仲間全員で打ち上げに行った。場所は人気のお好み焼き屋さん。テーブルを皆でつめながら囲み、鉄板をつつく。自分で言うのも変だけれど、いい光景だった。

 

そのプロジェクトを担当したスタッフは、年こそ自分とあまり変わらないのに、飄々と、かつ正確に仕事を進めるスーパーマン。そのエネルギーがどこから湧いてくるのか、まるで分からない。その知識、知恵をどうやって仕入れて、どうやってアウトプットしているのか、まるで見当がつかない。自分が不勉強すぎるだけなのかもしれないけれど。

 

仕事仲間とお酒の席でコミュニケーションをとることの大事さは言葉ではよく耳にしながらも、「はいはい、それは分かるけれど、自分はそんなに飲めないし、そういう場を設けなくたって仕事を円滑に進めるためのコミュニケーションはとれるでしょうに」なんて言いながら、どちらかというと否定的に考えていた。でもやっぱり大事なんだなぁということを、実感できた気がした。なんだかんだ言って仕事の話になり、いま進めている、新しい取り組みを交えたプロジェクトのアイデア出しが始まる。「なにそれ?」というのも含め、様々な角度からのアイデアが出る。まさにブレインストーミング。アルコールが脳に染み込んでいるからこそ出る言葉って、本当にあるんじゃないかと思った。焦って、スマホのメモ画面を起動する。こんなの、メモしておかないと絶対覚えていられない。

 

仕事を進めていくなかで、自分が心の中でふと感じたこと、良かれと思って行動したこと、行動に移さなかったこと、それらが仲間からどう見られているのか、そしてどう思われているのか。指摘されたことで、そのことに気づけた。これから直すべきところは直し、不機嫌は上機嫌に改めて、より円滑に、楽しく仕事をしていこう。

 

「カタいんだよ」それにしても、まさか社会人になりたての頃に直属の先輩に笑って言われた自分の短所を、社会人になって12年を過ぎたいま、同じように言われるなんて思ってもいなかった。自分が実は全然成長していないんじゃないかと思えて、泣けてくる。「飲みが足りないんじゃないか?」と言われたけれど、たぶんそうじゃない。飲みすぎたんだと思う。生中2杯だけど。たぶんアルコールには、胃に入らず、重力に抗って口から目に向かい、涙となって感情を放出させる性質があるんじゃないかと思う。

 

土壇場で集中力を

 

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壁面本棚をつくってくれた家具屋さんの個展で、相模原へ。新作家具を見て、その繊細さ、ディテールへの気の配り方、飽きの来ないシンプルなデザインの良さ、無垢材の肌触りの良さなどを、改めて感じた。取っ手に使われている、普段あまり使われない金物も、センスが光っていて、良い。自分が壁面本棚と机をつくってもらうのがもし今日以降だったとしたら、自分の机もこのように、抽斗をつけてもらっていただろうと思う。

 

久しぶりにご夫婦の誠実な人柄に触れ、元気が出た。仕事では、本当はこうしてはいられないくらい、やらなければならないことが山積みで、正直テンパっている。というより、やるべきことの山がなんとなく脳をよぎっていて、その総量を把握することができず、うろたえている。であるにもかかわらず、そう悩んでいるようにも見えない自分に、情けなさを感じる。仮に土壇場で集中力を発揮するタイプなのだとしても、ちゃんと集中力を発揮して結果オーライであれば良いのだけれど、そうでもない。この二日間、遊んでしまったからには、ちゃんと集中力を発揮して仕事をしなければ。また明日から一週間、頑張ろう。

不機嫌は罪

上機嫌でいることを忘れちゃいけない。不機嫌はもはや罪だ。この本を読んでその意識を強くした。以前から自分の不機嫌が嫌で、不機嫌になってしまう自分が情けなくて、そうじゃいけないと思いながら過ごしてきたけれど、なかなか上機嫌を技にできない。

 

「機嫌というのは、表情や態度に現れる快、不快の状態」とあった。これを読んで、何だか肩の力がすっと抜けたような気がした。なぜなら、不快だという感情を抱くこと自体は悪いことではなく、大切なのはそれを表に現わさないように気にしさえすればよいのだと確信できたから。嫌なことがあって、嫌だなぁと思ったっていい。それを顔に出さないようにしましょうよ、ということだ。だから、技なんだ。

 

仕事でつい不機嫌な態度をとってしまう自分に、いつも嫌悪感を抱く。あのとき、きっと不快が伝わって、嫌な気分にしてしまっただろうな、と後悔することがとても多い。だから、この本を読んで、上機嫌を技化して、いままでの不機嫌という罪を滅ぼそうと思う。

   

不機嫌は罪である (角川新書)

不機嫌は罪である (角川新書)

 

  

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

 

 

 

もう一冊、上機嫌について説いていた本があったはずだ。書道家の武田双雲さんの本だ。彼も非常に上機嫌で、にこにこしていて、穏やかな印象の方だ。上機嫌のすすめ。・・・と本棚を探すも、見つからない。手放してしまったか。

 

上機嫌のすすめ: 527 (平凡社新書 527)

上機嫌のすすめ: 527 (平凡社新書 527)

 

 

大切なモノは目に見える場所に保管する

「大切にしたいモノがあるのなら、それは普段目に見える場所に保管しておくべきである」そんな言葉に触れる機会があり、それ以降、意識している。自分にはもったいないと思うくらい立派な壁面本棚をつくった時だって、収納している本を隠すための扉をつけることもちょっとは検討したけれど、すぐに却下した。本棚を本を収容するための箱と考えるのであれば、そして、少しでも部屋をすっきりと見せることを優先するのであれば、本を隠して箱としてのインテリアをつくった方が良い。だけどそうはしなかったのは、自分にとっての本棚は本を収納する箱であるだけでなく、本の背表紙が並ぶさまがひとつのインテリアを形づくると考えていたからだ。本は情報が記録された媒体にとどまらず、その紙の塊そのものが一つの作品であり、美しさを持つモノでもあると考えていたからだ。そして何より、蔵書を目に見えないところでホコリまみれにさせることなく、常に目の届くところに置いておきたいと考えていたからだ。結果、部屋の中でご飯を食べている時でも、ウトウトしている時でも、こうして記事を書いている時でも、視界に入ることでその時その時に何か刺激が脳に入り込んできていると感じる。その感覚を、大事にしたい。

 

次に、密かにつくりたいと思い描いている家具がある。奮発して買ったCDコンポを置くローボードだ。それはCDコンポを置く専用とし、色も雰囲気もできればCDコンポと揃えたい。そして、いま本棚に入れて保管しているCDをそのローボードに移したい。

 

だけど、たいていのローボードは扉があって、その扉を閉めたら中に入れたものが見えない。ガラス窓にして見えるようにできるものもあるけれど、数は少ない。やはり、保管するCDを見えるようにはしたい。けれども一方で、本棚とは違って、面としての扉の素材感も出したい。家具の表情をつくる正面をCDジャケットで埋めるのではなく、木のやわらかさで包み込みたい。そんな葛藤が、いま自分の頭の中で渦巻いている。

 

ドライフラワーのリース

自宅近くの手作り市で、ドライフラワーのリースに出会った。ヤマブキの花の鮮やかな色がまぶしい。生花と違ってずっと飾っておくことができ、しかも、ゆっくりだけれど退色していく、その変化をも楽しむことができる。ちょっとした興味はあってもいままでは手に取るまでには至らなかったけれど、今日、勇気を出して手を出すことができた。

 

「男の人で興味を持ってもらえるなんて、珍しいことです」作家さんにそう言われ、恥ずかしさが半分。そうですよね、この風体で花だなんて。「女子か」て自分で自分にツッコミをいれたくなるほどだ。しかしもう半分は、なぜだかうまく説明できないのだけれど、嬉しい気持ちにもなった。他人と違うんだ、と思ったからだろうか。「いやいや、素敵です」そう作家さんにおだてられたからか。

 

花が好きだという男性を、それでも自分は何人か知っている。松浦弥太郎さんは「週に一回、花を買う」「雨の日こそ、花を買う」という。自分が花に関心を持つきっかけは彼のエッセイだといって間違いない。ストレイテナーのホリエアツシさんは、「オトナとは?」と聞かれ、「花を愛でる」とこたえた。近年、ノウゼンカズラの魅力に取りつかれたのだという彼は、ツル植物の生命力やその花のもつ美しさに気づくことが、オトナになったということなのではないかと言う。そして、自分が堂々と、いや、ちょっと恥ずかしがりながらだけれど、花が好きですよと言えるまでになったのに多大な影響をもたらしたのが、映画「ポリスアカデミー」に登場する心優しき怪力大男、ブバ・スミス演じるモーゼス・ハイタワーだ。実家である花屋の店先で、静かに茎を切る姿に、失礼だけれど見かけによらない心のありようを見ることができたと思った。こういう大人に自分もなりたいんだ、と、ストーリーの本筋以外のところで感動したのも、良い思い出だ。

 

こうして文章を書いている、机の脇にはヤマブキのリースが。この花がゆっくり時間をかけて退色していく、その様子に季節や時間の流れを感じるようになれたら、素敵だなぁと思う。

 

幕張マルシェ

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幕張海浜公園でマルシェをやっていると知り、久しぶりに海浜幕張へ。前職では毎日通っていたこの街は、スケールの大きい変化をいまもし続けている。普段はほとんど行かないアウトレットも、こうして見てまわると刺激的で、得られるものが多い。もっと自分の身のまわりのものに気を付けなければ。

 

大きな公園の中で出店しているお店を見て、キッチンカーは素通りし、ウォーキングコースを一周する。無機質な埋め立て地、という漠然としたイメージのある幕張だけれど、緑豊かな公園の中にいて、はしゃぐ子供たちを見ると、決してそうでもないのだと思う。かつての職場のある業務都市という位置づけからいまだに脱出できていないけれど、公園あり、商業施設あり、そんななかで大規模なマンションがあり、つまりは住むための街として賑わいを創出している。いまはそう頻繁に行くような場所ではなくなったけれど、自分にとってはいつまでも特別な位置づけの街だ。

 

 

西船橋から乗る武蔵野線のホームがやけに混雑していて、海浜幕張駅の人の多さにもびっくりした。面食らうも、赤いユニフォームを着た人を見て、納得。マリーンズとカープの交流戦らしい。ビジターなのにこの熱量。広島のエネルギーに負けるなよ。

プロフェッショナルの自覚を持つこと

仕事。管理組合の臨時総会。民泊利用を禁止するための管理規約改正や予算案修正、大規模修繕工事を進めるための手順など、話し合う。また細かな問題に対する解決方法を探り、組合員間で合意する。年数がたてば年数が経ったなりのさまざまな課題があって、それと同時に、年数が経ったなりの信頼関係があるのだと感じた。

 

自分がそこでサポートする意義を見出すには。その管理組合にとって必要不可欠な存在になるためには。まずは自分がプロであることが大前提なのだけれど、その自覚が持てているかと聞かれると、首を横に振らざるを得ない。もう6年もやっているのに、恥ずかしい。

 

プロフェッショナルを目指すための心得として。とにかく一つのことに「覚悟」を決めてみる。そのためにとことん考える。これと決まれば、そこに向かって真っすぐ進めばいい。迷いもなくなるし、悩まずに済む。

 

いまいちど原点にもどり、自分はコーポラティブハウスをとおして何をなしとげたいのか、どうしたいのか、をじっくり考えよう。無から有をつくること、新しいコーポラティブハウスをつくって住まい手に価値を贈ることはもちろん、加えて、自分がいま関わっているコーポラティブハウスの管理組合の幸福度を最大化すること。そのために自分が得た知識や経験を提供する。つくるプロセスだけにメリットがあるのではなくて、完成後もずっと幸せなのだということを、示したい。関わっているすべての管理組合員に「ありがとう」と言われたら、もうあとは何もいらない。

 

・・・なんてことを、久しぶりにひっぱってきた本を風呂で読みながら、考えていた。そうするために、覚悟を決める。プロフェッショナルになれるように。自覚が持てるように。

 

プロフェッショナル宣言 (星海社新書)

プロフェッショナル宣言 (星海社新書)

 

 

インテリア雑誌

事務所からほど近くに、土日限定でやっているカフェがある。普段は夜オープンするバーなのだけれど、そのマスターの奥さんが、昼間店を閉めているのはもったいないということでランチを出し始めたのだそう。平日そこにないものが、休日だけ現れる。一方自分は、平日昼間にそこへ行くことはほとんどないけれど、休日、仕事で事務所に行ったときに立ち寄ることができる。それに下戸な自分はバーのお客になれる気がしない。こうして、必然的にカフェの方に行くことになる。今日はコーヒーだけでなく、初めてランチを食べた。キーマカレー。こういう手作りの味が本当に良い。

 

コーヒーを飲みながら、事務所のすぐ近くの古本屋で300円で買った古い北欧雑誌に目を通す。デンマークの家具デザイナー、ポールケアホルムの自邸がすごく良い。家具がずっとそこにあったかのように自然にたたずんでいる。モダンでありながら、冷たい印象はまるでなく、住み心地の良さを感じるようなあたたかさが、写真からも伝わってくる。天井に照明がなく、置き型ランプで明るさを確保するという発想も良い。点けたいときに点けたい場所だけを。そんな必要最低限主義を感じることもあれば、椅子は決して少なくない。あるべきところにあって、浮いているものがない。そんな自然な家具配置を、自分も参考にしたい。

 

このところ、住宅雑誌、特にインテリア雑誌をよく買う。自分に設計センスがないというコンプレックスを、こうした雑誌を通して美しいインテリアに触れることで解消させる。自分では設計できないけれど、こういう事例があって、こういう考え方が参考になりますよ、ということが頭にパッと浮かぶようになりたい。

ハイペースがマイペース

「自分が客の立場で席について、コーヒーを淹れてもらうのが夢なんです」生き生きと、屈託のない笑顔で言ういつものカフェの店主が印象的だった。「そんなの、すぐ叶うでしょうに」なんて思って口にしたら、そうじゃないんです、と彼女は笑みを絶やさない。スタッフがみんな技を覚えてくれたら。そう話す彼女の目は、輝いていた。

 

そうか。他人から見たら、そんなのすぐに叶うんじゃないの?と思うようなささいなことでも、本人にとっては何事にも替えられない立派な夢なんだ。自分の視野の狭さを思い知った。

 

明日、オープン1周年のイベントを行うとのこと。この1年を駆け抜けたスピードは、客観的に見てもものすごく速かった。もうちょっとゆっくりと、マイペースにやったらどう?と言いたくなる。でも彼女にとっては、このハイペースがマイペースなのだろう。とすると、自分の助言はまるで彼女らの役には立たない。

 

1周年、おめでとう。あなたのお店をオープン当初から知れて、自分の居場所とすることができていることが、自分の誇りです。これからも、よろしくお願いいたします。