徒歩10分のコンビニ

実家から徒歩10分圏内に、コンビニができた。奇跡のようだ。

 

行ってみたら、広ーい駐車場に5~6台の車が停まっていて、店内も比較的混んでいた。

 

これからは、ちょっと何かを買いたいとき、ものすごい便利だ。

 

それに比べて、いままでときたら、、、いままでは、、、あれ?

 

車で20分走れば、一応複数のコンビニ、スーパー、専門店に行ける。

 

そのために車を出すことを、億劫だと思ったことがない。

 

いまは私は車を持っていないが、持っていたときは、弟と妹を含め、家族全員車を持っていた。

 

実は、10分歩くくらいなら、20分車で走った方が楽だ、と思ったりもする。

 

、、、ぐらい、車社会な、のどかな実家です。のんびりしてます。

 

 

 

 

 

年末年始の過ごし方

伊坂幸太郎「首折り男のための協奏曲」をいま読んでいる。帰省する電車内、東上線に揺られる時間の長さを紛らわせるのにも、うってつけだ。複数の話がポンポンとでてきて混乱するが、それもまた楽しい。「伏線の回収」「勧善懲悪」が彼の小説を特徴付けるキーワードなのだとすると、まさに彼らしさのど真ん中をいく話なのではないかと、読み途中だけど、思う。ただ、最後まで全体像がつかめず、よって最後まで楽しみだ。

 

手元には、これまた読み途中の「死神の浮力」もある。このまとまった休み、決して季節感のある過ごし方ではないけれど、本を読んで過ごすというのも、良いなぁ。と、「日頃忘れがちな視点を本が授けてくれる」という朝日新聞の広告特集をみて、思った。

 

首折り男のための協奏曲 (新潮文庫)

首折り男のための協奏曲 (新潮文庫)

 

  

死神の浮力 (文春文庫)

死神の浮力 (文春文庫)

 

 

 

 

 

Did you sleep well?

事務所の年内の仕事も一段落し、一足早く年末年始休みをいただいた。そんなに時間があったところで、どうせ何もせず自堕落に過ごすんだろう、と心の中の悪魔の自分が言う。それくらいのまとまった休み。大切に使おう。

 

腰痛もだいぶおさまった。腰を曲げて歩く状態で正月を迎えたくはないから、安静にすべき時は、安静にしていようとも思う。

 

 

今年は、何をおいてもTHE YELLOW MONKEYの復活が自分にとってのビッグニュースで、一年間、彼らのエネルギーをそのまま自分のエネルギーへと変換させていた。「申年の奇跡」とはうまいことを言う。猿に光を与えてもらった一年だった。

 

「プライマル。」を発表したのが2001年の1月だから、15年ぶりになる。シングル「砂の塔」には、その「プライマル。」をはじめ、彼らの代表曲のライブテイクが12曲もはいっていて、シングルCDという概念を、何事もないかのようにサラッと変えてしまった。特にこれ、という曲を指定するのは難しく、それぞれの曲にツボがあり、思い出があるのだけれど、いま、頭の中でヘビーローテーションしているのが、最後に収録されている「カナリヤ」という曲だ。なぜかはよくわからない。吉井さんが「おはようっ!」「ゆっくり眠れましたか?」と煽る。この曲がもつさわやかな印象と、「おはよう」という言葉のさわやかなイメージが合致する。16年前によく聴いていたアルバム「8」の中でも、特別きれいな曲だなぁと思っていたので、「LOVE LOVE SHOW」や「JAM」を差し置いて、アルバム曲であるこの曲がノミネートされているのを見ると、彼らの中でのこの曲の立ち位置を少なからず自分は理解できたのかな、と嬉しく思う。

 

一人で泣いてちゃ頭が疲れるから 宇宙に電話したよ

(THE YELLOW MONKEY/カナリヤ)

  

今日も、ちらちらと雨が降る中、街を歩いていて、吉井さんに「おはよう」と声をかけられたような気がした。カナリヤの口笛なのか、眠りから覚めるための目覚ましなのか。清々しいイントロのフレーズが、今年も頑張ったな、と自分を慰めてくれるようにも感じる。来年は酉年。多少こじつけだが、来年はカナリヤが「ゆっくり眠れたかい」と、寝ぼけた自分を起こしてくれそうな気がする。

 

DID YOU SLEEP WELL いつの日にか あおむけで眠りたい

(THE YELLOW MONKEY/カナリヤ)

 

家具の魅力

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今年は自分にとって、とても大きな買い物をした。家具屋さんにお願いをし、部屋に壁面本棚をつくった。賃貸住宅なのに。天井いっぱいまでの家具をつくっちゃって、引っ越すときどうすんの?という問題は確かにあるけれど、それ以上に、自分でオリジナルな本棚をつくりたい、という欲望の方が勝った。引っ越す時のことは、引っ越すときに考えれば良い。

 

この本棚に、少しづつ本が集まってくるのを、眺めるだけでも楽しい。無理に本をたくさん買って区画を埋めよう、とは思わない。ゆっくりでいいから、時間がかかってもいいから、読んですぐ飽きちゃうんじゃなくて、ずっと保有しておくに値するような、1年後も10年後も持ち続けていたいと思うような本を、所蔵していきたい。

 

賃貸暮らしだと壁に画鋲一つうてない。だからオリジナルな部屋にできない。だから住まいは建てるものだ(もしくは買うものだ)。少し前までは、私もそう思っていた。自分で設計して自分で家を建てることこそが、オリジナルな、自分だけのライフスタイルを実現できるぴったりの暮らしを手に入れる方法なのだと。しかしその考えもだんだん薄まってきて、たとえ賃貸であっても、工夫すればそれなりに自分なりの住まいをつくることができるのだと思うようになった。建てることだけに拘るのは視野が狭いのではないか、と。そして、賃貸でも自分らしさをつくることができる、そのための道具が、家具なのだと。

 

家具の魅力を再認識した一年だった。今年のボーナスを前借りしてつくっちゃったような感じだったから、これからそれ以外のものにお金を費やしたらバチが当たりそうな気さえする。来年以降、この本棚とそこに集まる本にかなうようなオトナになりたいと、本気で思う。

 

腰痛

思いのほか長引く腰痛に悩まされ、安静にしている。久しぶりに接骨院にいったが、ぎっくり腰なのか、長いこと腰への負担が蓄積された結果なのか、はっきりしない。覚えている限り、数年前にも痛いことがあった。それは確か数日でおさまったし、たしかその直後に熱が出てダウンしたから、風邪やインフルエンザの前兆として節々が痛くなったのだろうと思っていた。だから今回も、痛み自体は深刻に考えず、体調を崩さないようにと考えていた。なかなかおさまらず、むしろどんどん強くなっていく痛みに、惑わされた。

 

昨日のLIVEも、行けるのかどうか心配ではあった。さいたまスーパーアリーナでのLIVE中、男が外傷もなく白目をむいて失神し病院に運ばれた、というニュースがもし流れたとしたら、それは私だ。だけど、17年前、彼らの10周年LIVEの数日前に強風でセットが壊れ、あわや中止となったときでさえも「中止というのは、自分の中で1%もなかった」と彼らが言ったように、私にとっても、腰痛を理由に行かないという可能性は1%もなかった。結果、毎度のとおり声は潰したし、腰に限らず全身が痛むようにもなったけれど、まぁなんとかなった。

 

この年末、きちんと仕事を終わらせることができれば最高にすがすがしい気分で過ごせるはずなのに、いまいちすがすがしさを感じず、不快感に悩まされる。その原因がぎっくり腰だなんて、情けない。昨年、尿路結石にやられたときと同じくらいの恥ずかしさだ。しかし、まぁ大きな病気もなく、怪我もなく、こうして一年過ごすことができたのだから、ありがたく思う。むしろ、ぎっくり腰程度のハンデでよかった。

 

 

街はクリスマスイブ。ところどころで見るホールケーキに、甘党の舌が反応する。でも、なんか今日ケーキを買ったら、クリスマス商戦に乗せられたような気がして、ちょっと気がひける。クリスマスに限らず、ケーキなんて普段から食べたいと思った時に買いますよ。なんなら、ケーキ屋がたくさん作ってクリスマスに売りきれなかったものを、27日くらいに買って食べますよ。どこまでも天邪鬼な自分だ。

 

Holy Night

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12月23日。

 

LUNA SEAのLIVEに行ってきた。2年前と同じく、さいたまスーパーアリーナ。年末、自分へのご褒美として参戦してものすごい興奮を味わったあの日から2年が経ったのか。その間、仕事で自分は成長することができただろうか。やはり、あっという間という感覚で、「こういう力を手に入れた」という実感は、まるでない。いつものことだ。本当はそれではマズイということは分かっていながら、それでも、実力をつけることができなかったとしたらそれが自分の実力なのだ、と思う。なんかこう、時の流れに身を任せる、と言ったらカッコつけた感じだけど、そんな感じだ。

 

ありがたいことに今日で6度目のLIVE。彼らの爆音を聴くたびに、興奮し、感動し、身体を揺らし、そして跳んだ。最近は、目を閉じてじっと曲の世界に入り込む余裕もできた。周りの目は一切気にせず、彼らを見ることもせず、目を閉じて、震える音を感じる。その時間が、すごく好きであることが分かった。

 

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彼らのメリークリスマスを、手に取って、味わう。CDを、スタッフから直接受け取り、ドキドキしながら家に帰り、聴く。そんな当たり前のことが、ぜいたくに思える。たった1曲だけれど、大切にしたい曲だ。この曲を聴くたびにその風景が思い浮かぶような、そんな特別な曲になりますように。

 

 

もともと、クリスマスだとか、クリスマスイブだとか、そういった一般的にひとりでいたら寂しい日にひとりでいることを、寂しいと思ったことがない。ただ鈍感なのか、恋人がいないことに対するヒガミなのか、よくわからないけれど。普段ひとりでいて寂しくない日なんて誰だってあるでしょう。それがたまたま12月24日もそうだった、それだけのことだ。

 

それに・・・こういったLIVEで熱狂の渦の中に入ると、友達や家族、恋人と過ごすのでなくても、孤独ではないのだということを実感する。LIVEに行く自分はひとりであっても、そこで楽しむ自分はひとりではない。まぁそんな感じだ。

 

クリスマス会2016

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竣工済みコーポラのクリスマス会にお誘いいただき、参加してきた。毎年恒例、自分が参加させていただいたのも今年で5回目。和気藹々としたコミュニティが竣工以来こうして続いているだけでも奇跡だと思うのに、その集まりに加わらせてもらえていることが、とにかく嬉しい。

 

皆、誰もが、自分の知らないところで一生懸命に頑張っている。短期集中で勉強し、受験に励む小学生。その子を励まし、心配し、見守る親。締切直前の繁忙期に、イベントそっちのけで仕事に励む方。皆が皆、それぞれの道で、必死に生きている。そのことを実感した。自分もそうでなければならない、と励まされた気がした。

 

ビンゴ⇒プレゼント交換でこうも盛り上がる管理組合が、他にあるだろうか。「自分の息子、娘のこういうところが偉いと思う」と堂々と言い、息子、娘を心から尊敬する親が、どれだけいるだろうか。管理会社の日常清掃に不満があるから、いっそのこと自分たちでやっちゃおうか、自分たちだって家に帰ってきて外が汚れてたら誰に言われるでもなく掃除くらいするでしょ、と一致団結する管理組合が、他にあるだろうか。「建てたらおしまい、ではなく、入居してからがスタート」私の役割は、まさにこういう管理組合に育つための役割なのだと、思った。

 

首折り男のための協奏曲

彼の作品は、ひとまず全て読もうと決めた。つべこべ言わず、全て読んで、彼の世界を自分の中に入れてしまおう。

 

行きつけの本屋に立ち寄ったら、いままで単行本であったことが理由で見向きもしなかった作品が、文庫本になって並んでいたので、迷わず手にとった。あいかわらず、タイトルからストーリーが全く読めない、この不思議な感じが好きだ。

 

読みはじめたばかりだけれど、すごい面白い予感がする。一見なんの関係もなさそうな複数のストーリーが互い違いにやってくるスリリングな展開は、まるで「ラッシュライフ」のよう。そして、勧善懲悪という彼を象徴するテーマを早くも垣間見れる。さながら「フィッシュストーリー」のような雰囲気だ。

 

彼の作品は、全て読もうと決めた。すでに買っていて読み途中の別の作品があって、それがどれだけ中途半端だろうが、関係ない。だから一冊を読み終わるのが、買ってから数ヵ月後ということもざらにある。そういうときはだいたい、読み終わった時にストーリー全体を覚えていない。まぁそれでもいい。本を、特に娯楽で小説を読むことの良さは、あとで身になるとか知識を得るとかそういったことではなく、読んでいる時間そのものにある。その通りだ、と自分に言い聞かせている。

 

「死神の浮力」と、どっちが先に読み終わるだろう・・・。というか、「陽気なギャング」も全然読み進んでいない・・・

 

首折り男のための協奏曲 (新潮文庫)

首折り男のための協奏曲 (新潮文庫)

 

  

死神の浮力 (文春文庫)

死神の浮力 (文春文庫)

 

  

 

人との関わりで得られるもの

自宅のポストに「ご招待」と書かれた封筒が入っていた。ドキドキしながら開けたら、大家さんからの写真展のお誘いが。「デジカメ写真部」という小さなコミュニティの展示が自宅のすぐ前のホールであるらしい。

 

おそらくはこの招待状、自宅アパートの住人全員に投函しているのではなく、大家さん主催のイベントにちょこちょこ顔を出している私へのメッセージなのだと、勝手に受け取っている。

 

思えば今年は、大家さん主催のイベントがきっかけで、多くの素敵な出会いに恵まれた。一生ものの壁面本棚をつくってくれる相棒に出会えたのもそう。自宅近くに本当に美味しいコーヒーを飲める喫茶店がないと嘆いていた自分を救ってくれたコーヒー屋に出会えたのもそう。音大生ミニコンサートで聴いて「パリは燃えているか」という素敵な曲を知ったのもそう。こういった出会いを、これから大切に、途切れさせないように育てていくことが、自分に課せられた使命だ。

 

 

行きつけのパスタ屋で、店員さんから個人的にショックな報告を受けた。一瞬頭が真っ白になったけれど、しばらくして、それを一客にすぎない自分に教えてくれた、彼女の心遣いに感動した。ミニプレゼントまでもらってしまった。こんなの、もったいなくて食べられない。

 

よく食べに来る常連さんだと気付いて欲しい、という下心は確かにあった。だけど、結局は一客にすぎないのだと思っていた。この日、彼女が自分を気遣ってくれたことで、いままでの記憶がすべて積み重なって、それが花開いたような、言葉にすると何言ってるのかよくわからない感じだけれど、そんな気がした。その優しさに、なんとかして応えなければならない。

 

 

こうした出会い、人との関わりあいが、暮らしを楽しく、ワクワクドキドキするようなモノにしてくれるのだと思う。明日を生きる力を与えてくれるのは、モノでもお金でも情報でも仕事そのものでもなく、ヒトだ。

 

Nordic Lifestyle Market

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Nordic Lifestyle Marketに行ってきた。国連大学で毎週末(!)開催している「Farmaer's Market」という市があって、今週は北欧の家具や雑貨、コーヒーなどが集まるイベントが同時開催されていた。このところ、北欧の家具のあたたかさというか、普遍的で飽きのこないデザインに惚れて興味があったので、行ってみようと思い立った。

 

職場のすぐ近くにあることは知っていたが、行ったことがなかった家具屋「KONTRAST」の家具が、かっこよかった。サイドボードをつくってCDコンポを置くのが、いまの自分の目標。

 

www.kontrast.jp

 

 

移動式本屋に初めて入った。狭い車内いっぱいに立つ本棚には、そこでしか売っていなさそうなレアな本がたくさん。わくわくしながら見繕い、いまの自分の気分に合致した一冊を、迷わず手にとった。目的意識、テーマをもった旅。したいなぁ。

 

自分の仕事をつくる旅

自分の仕事をつくる旅

 

 

中国以外の海外に行ったことがない、極端に海外旅行音痴な自分。究極の出不精は、生まれつきか。身体に染み込まれたもので、今後価値観が変わることはないか。それでも、こうやって本を読むと旅に出たい、という気にはなる。なにも海外に行って、現地の人に出会って、自分にとっての常識は世界の非常識で、世界の常識が自分にとっての非常識、ということがあるのだということを知るだけが、旅ではない。今日だって、こうして家具屋や移動式本屋に出会えたんだから、表参道に来たこと自体が、旅のようなものだ。

 

今日はコーヒーが飲めなかった。見るものが多すぎて、ゆっくり座ってコーヒーを飲むような状態ではなかった。今度は、北欧のコーヒーにも触れたい。

 

J:アルネヤコブセン -ARNE JACOBSEN-

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ハンス・J・ウェグナーの家具に惚れた。GE290の一人がけソファからは、最高級の贅沢な時間を自宅で過ごせるのではないか、と思うほどの心地よさが伝わってくる。そしてサイドボードのRY25やRY26も圧巻。なにひとつ無駄なものがなくて、何年たってもデザインが古びないとはこういうものを指すのだと心から思う。

 

そこからスタートして、興味の対象は北欧のデザインへと広がった。いままで何の気なしに見ていて「かっこいいなぁ」と思っていた程度のものが、実は北欧の国で生まれたものだと最近気づいた、というものがたくさんある。北欧のデザインにピンとくるアンテナが、昔からあったのだろうか。

 

デンマークのデザイナー、アルネ・ヤコブセンを最初に知ったのは、いつのころか忘れてしまったけれど、最初はそれほど気にならなかった。デンマークの人であることもしらなかった。「バンカーズウォッチ」を見た時だって、12個の小さな四角形のうちの一つが黒く塗りつぶされたデザインを、シンプルだなぁくらいにしか思っていなかった。しかし、ハンス・J・ウェグナーからアルヴァ・アアルト、ヤコブ・イェンセンと興味が広がっていくうちに、ようやく注目するようになる。そうか、アントチェアやセブンチェアをデザインした人なのか、といまさら言ったら、大学で建築を勉強したということを笑われるだろう。

 

黒く塗りつぶされた四角形の並びを遠くから眺めると、らせんを描くように、スーっと時間が流れていく感覚を味わえる。時間を確認するたびに、この不思議な感覚を意識できるなんて、素敵なことだ。

 

自分にとって良いデザインとは、第一印象で「これはかっこいい!」とビックリし、その魅力に一瞬でのめり込んでしまうようなものよりも、最初はそれほど印象に残るものではなかったのだけれど、何度か見るうちに「あれっ、これ、好きかも」と思うようになり、だんだんその魅力にハマっていく、というものにあるのかもしれない。10年20年、そしてそれ以上、と永く使うことができるものとの出会いは、きっと衝撃的な一目惚れではなく、時間を経て徐々に好きになっていく、その時間経過がもたらしてくれるのだと思った。

 

幡ヶ谷のパン屋

管理組合運営のサポートをしているコーポラティブハウスが、渋谷区西原にある。最寄駅は京王線の幡ヶ谷駅。駅を降りて真っ先に意識が向かうのが、かっこいいコーポラでも、緑豊かな緑道でもなく、ドトールでもなく、ましてや大通り沿いの喧騒でもなく、駅前の小さなパン屋だったりする。

 

アルファベットだけでは読みづらい店名のこの店は、至って普通のパン屋で、ここにしかない個人店でもない。京王グループの会社が運営しているパン屋なのだということを、今日調べて初めて知った。

 

仕事で訪れることがほとんどであるこの街。コーポラに寄った帰りや寄る前の休憩、管理組合総会前の準備と、その用途はことのほか多い。シンプルなパンを食べながら、憧れていたコーポラティブハウスの仕事に携われているということを噛み締める、貴重な時間を過ごしている。

 

管理組合に快適を届ける仕事は、もちろんうまくいくことばかりではなく、時には入居者からキツイ言葉をもらったりして凹むこともある。もっと建築を勉強しなければ。勉強して、問題に対する解決法を自分の力で提示できるようにならない限りは、クライアントから信頼してもらえないではないか。といつも不安を感じながら、それでも専門書を開いて勉強に時間を割くという実行を伴わないのが、私のダメなところだ。どこかで、「自分には知識がなくたって、事務所の仲間に聞けばいいんだ」と甘えているんじゃないのか。

 

今日も、仕事があまりうまくいかないことの鬱憤を、甘いパンを食べることで晴らそうとした。ただ今日は、駅を降りてまっすぐ目的地へ向かったため、立ち寄らなかった。危ない危ない。仕事上の不安や危機感を、パンで帳消しにしようとするのがいけない。幡ヶ谷は、自分を現実逃避させようと誘惑してくる街だ。

 

旅と寸法

ホテルに行ったら、その部屋の寸法を測って間取り図を書く。その間取り図を集めた旅の記録。パラパラとページをめくったら、その手書きの間取り図がとても美しくて、手書きできれいに図面を書けるっていいなぁと思った。フリーハンドの図には、味がある。色もついているから、その部屋の温度感も伝わってくるような気さえする。

 

スケール片手に、とにかく測る。著者はそれを仕事としてでも義務としてでもなくこなしていて、まるで趣味のようだ。そうやって得た間取り図の蓄積が、そのまま自分の頭の中への寸法の蓄積につながっているのだろう。

 

こうして、仕事における体力づくりや情報収集のために、人があまりやらないことを趣味のように、黙々と、熱中してやる。なにかこういうことをしている人が、すごい仕事をする人になるのだと思った。

 

この本を読んだ途端、自分が身のまわりのモノの寸法や動作寸法をよく知らないことに気づかされた。自分だっていつもカバンにスケールを入れて歩いているんだから、もっと活用しないと。

 

旅はゲストルーム (知恵の森文庫)

旅はゲストルーム (知恵の森文庫)

 

 

リアル本屋

本屋と自分との関わりについて、考える。

 

リアル本屋にどれくらいの頻度で行きますか?というアンケートをどこかで見た。その選択肢の一番が「週に複数回」というものだった。それに「週に1回くらい」「月に数回」「月に1回くらい」「3~4ヶ月に1回くらい」「1年に1回くらい」と続いて、最後が「ここ数年行ったことがない」だったと記憶している。自分の場合は・・・週に一度は必ず行くし、週末は土日とも立ち寄るというようなこともあるから、週に複数回ということになる。そうすると、世間一般で言うところの、よくリアル本屋に行く部類に入るのだろう。そういう実感はまるでないけれど。

 

ネットショップにとってかわって、リアル本屋が近い将来消えてなくなってしまうか?という議論がある。それはないんじゃないか、というのが今の自分の考えだ。確かに、例えばスマホは急に増殖して、まわりにガラケーを持つ人なんて見ないくらいだけれど、街を歩いていて「本屋がないなぁ~」と思ったことは、あまりない。事実として、街から小さな書店はどんどん少なくなっているというニュースはあっても、自分が生活する範囲において、少なくなったことを身にしみたという記憶はない。

 

ネットショップを否定はしない。私も楽天ブックスで本を買うことだってある。コンビニに送ってもらって、好きな日に取りに行けばいいんだから、楽だ。だけど、じゃぁそうやってネットショップの活用が増えることに反比例してリアル本屋に行く頻度が減るかというと、そんな感じはしない。少し前は結構楽天ブックスを使っていたけれど、いまは9割がたリアル本屋で買う。特定の欲しい本がない時でも、ふらっと立ち寄って何かおもしろいものはないかと見て回れる、その時間そのものを楽しめるのが、リアル本屋の良いところだ。

 

読書というのはひとつの文化であり、仮にその文字が書かれている媒体が紙からデータに移ったとしても、リアル本屋からネットショップに移ったとしても、本を読む行為そのものは絶対に廃れることはないんだなぁと思う。紙の本から電子書籍に変わったり、リアル本屋からネットショップに変わったりする一連の流れも、本を読むための方法やアクセスするためのプロセスがただ変化したに過ぎず、本を読む時間を楽しむ点においては何の変化もないのだという認識にようやくたどり着いた。みんながみんな、各々好きな方法で、自由に本に触れたらいい。

 

雑誌とかウェブとかいろいろ見ていると、ネットショップに負けじと生き残るための戦略をつくり、唯一無二の価値を作り出しているリアル本屋がたくさんあることに気づく。一冊しか置かない本屋。毎日トークイベントを企画して読み手と著者とをつなげる本屋。読んだ人の声を次の人に伝える本屋。展示してある古道具を一緒に買うことができる本屋など。リアル本屋が消滅する危機、という言葉を見るけれど、自分は全く心配していない。なぜなら、このように生き残るために知恵を出し、頑張っている本屋がいっぱいあることを知っているから。そういう本屋を、応援できる存在でいたい。

 

わたしの小さな古本屋 (ちくま文庫)

わたしの小さな古本屋 (ちくま文庫)

 

  

CasaBRUTUS(カ-サブル-タス) 2016年 12月号 [居心地のいい本屋さん]

CasaBRUTUS(カ-サブル-タス) 2016年 12月号 [居心地のいい本屋さん]

 

 

起死回生

あなたは今日、接客をして歩きながら、自分がしゃべることに精一杯で、相手の話を聞いてなかったのではないですか。

 

あなたは今日、相手がしゃべっていることを、どこか上の空で、聞き逃していませんでしたか。

 

あなたは今日、ぱっと思いついたことを、よく吟味もせず、すぐに口にして、相手を混乱させはしませんでしたか。

 

あなたは今日、休日なのに仕方なしに仕事しているんだ、というどこか心の奥底にあるちょっとした気持ちを、表に出してしまってはいませんでしたか。

 

あなたは今日、相手が何を評価してくれていて、何を必要としていて、何がネックであったかを、真剣に考えなかったのではないですか。

 

であるならば、もう少し、ゆっくりと、丁寧に、よく考えて、真面目に、仕事をしましょう。

 

 

オトナになったら、続けることができれば、こうやってカッコ良くなれるんだ。昔の曲をいま演奏しているのを聴いて、そのバンドの進化を感じることがこのところ多い。自分もそうでありますように。今日の失敗に学び、起死回生を。全身全霊を、俺にくれよ。