文化の日に、想いを書くということについて考える。

書くことを選んだのはなんでだっただろうか。何を書きたかったのだろうか。

 

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

 

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

 自分が普段考えていることだとか、何を感じたかとか、そういうことを文字にして整理して書いて、あとで見返すことができたらいいなぁ、と思ったのが最初のきっかけです。当時はてなダイアリーを選んだのは、デザインがきれいだったから。その後はてなブログに移行して、引き続き快適に使っています。

 

2.ブログ名の由来を教えて!

THE YELLOW MONKEY吉井和哉さんのソロ曲「WEEKENDER」が由来。休みの日を楽しく有意義に過ごしたいとずっと思っていて、楽しむためのツールとしてブログを始めたのだから、「休日をよりよく!」という想いをこめて、拝借しました。休日は頑張って書く。そのかわり平日は一切書かなくて良い、という自分ルールをつくったのも、最初からでした。

 


吉井和哉 - WEEKENDER(GENIUS INDIAN TOUR 2007)

 

3.自分のブログで一番オススメの記事

ブロガーさんに真っ向からほめてもらえた、思い出の記事です。自分自身、気持ちがかなり高ぶり、興奮し、財布のひもをゆるめ、素敵な人と出会い、コミュニケーションを深める中で、つくった財産。本日現在まだスカスカだけど、日々ちょっとづつ成長中。

 

bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

 

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

良かったことは、過去の記事を読みながら、「あぁ、あれから●年経ったんだ」とか「あの時そんなこと考えてたんだ」とか振り返ることができたこと。ブログを書いてなかったら、すっかり忘れてます。

 

気づいたことは、 自分の書く文章には特徴があって、書き癖があって、変わらない雰囲気がある、ということ。あと、自分の心の奥底にある考えの核のようなものは、何年たってもあまり変わらないのだということ。

 

5.はてなブログに一言

書くための快適な環境を与えてくださり、ありがとうございます。これからもどうか続けてください。

 

グッドデザイン

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グッドデザイン賞を受賞した作品が展示されている「GOOD DESIGN EXHIBITION 2016」に行ってきた。

 

www.g-mark.org

 

大きなフロアーに並んだ作品、ひとつひとつすべてを見るとあまりにも情報量が多すぎるので、意識してピンときたものだけに絞って見た。それでもたくさんのアイデアがあって、楽しかった。

 

見てまわって、パンフレットを読んで、大切だと思ったテーマは大きく二つ。

 

①人と人とをつなぐ仕組みづくり

②技術の進歩によってなくなった体験を取り戻す

 

①は特に建築で。もともと電鉄会社の社宅であった建物をリニューアルして一般賃貸住宅と公営住宅とし、まちに対して開放するというものがあった(ホシノタニ団地)。建物のデザインももちろん良いのだけれど、そうやって人を集めるしくみをつくっているのがすごいと思う。社宅という閉じた建物群をリニューアルして、外に開いて街づくりに寄与する。なにより、それが新しい建物を一からつくる新築ではなく、老朽化したマンションでやることに、既存ストックの活用という点で意味があるのだと思う。

 

www.odakyu-fudosan.co.jp

 

本を一冊しか置かないという「森岡書店」もそうだ。従来の本屋は、当たり前だけれどたくさん本があるから、そこに来る人の目的は多様。だけど本が一冊しかなかったら、そこに来る人の目的はその本しかない。すると、来た人同士のつながり、店と客とのつながり、作家と読み手とのつながりが生まれる。情報量が多い現在において、対象を絞るという逆の発想が面白い。

 

openers.jp

 

②は冒頭の写真にもあるスピーカーを見て。再生した曲の歌詞がモニターに映るだけでも衝撃的なのに、曲調を分析してフォントや文字の出方が変わるというのが、とことん音楽の聴き手目線に立っていてすごい。CDを買ってプレイヤーで聴く時代から、スマホでダウンロードして聴く時代になった。それ自体は否定するものでもなんでもなく、便利だし、良いことだと思う。だけど一方で、歌詞カードを手に持って音楽を聴きながら歌詞を読むという行為が、少なくなっているのも事実だろう。作家は、曲と同じようにその歌詞だって並々ならぬ力をいれてつくっている。言葉を一つ一つ、選びながら歌詞をつくっている。その情熱を味わう機会を、プレイヤーがつくる。こういう意思をもったデザインが、好きだ。このスピーカーは、ほんとに欲しいと思った。

 

lyric-speaker.com

 

先の森岡書店は、このテーマにもあてはまる。ネットショップを使えば外へ行かずとも自宅で注文できる。便利だし、そういう選択肢が増えたことで街の小さな本屋の価値が失われつつあると聞く。だけど、ネットショップにはできないことがある。それは実際に本屋に足を運ぶことで、思いがけず良書に出会ったり、人と人が出会ったりするチャンスを生むことだ。

 

 

人の生活がいままでよりちょっと楽しくなるような仕組みをつくることこそが、デザインなのだと分かった。

 

有意義に落ち込む

夕方、少し仕事。運営サポートをしている管理組合の総会で、また言わなくてもいいことを言ってしまった。あれほど「しゃべりすぎるな。何も口を出さず終わったらダメだけど、言うべきこととそうでないことを区別せよ」と自分に言い聞かせて臨んだのに、うまくいかない。

 

だいたいが、準備を怠る自分のなまけ癖が原因だ。どうやって説明すればきちんと伝わるか、それを前もって準備しないといけない。それでも、特に大きな議案がないとか、他の案件で精一杯で気が回らないとか、楽する理由ばかりを集めて準備不足を正当化する。これはまずい。

 

 

仕事でミスをしたなぁと落ち込む時は、まずはとことんまで落ち込もうと決めている。どんよりとした気分を、それが消え失せるまで全身で受け入れる。「もう過ぎたことだ、くよくよしても仕方ない」と開き直るのはやめようと思っている。他人が見たら「あ、あのひと何かあって落ち込んでるな」とひと目で分かるだろうなぁと思うくらい、分かりやすく凹む。そうしようと決めている。その時間がどんなに憂鬱でも、時間が経てばいずれ気が晴れるということを知っているから。

 

こういうとき、まっすぐ帰宅しようという気になれず、たいていどこか、居心地が良くてよく行く場所に立ち寄りたくなる。落ち込んでいる時間を大切に。有意義に落ち込むために。

 

と言って、行くのがオシャレなカフェとか、粋なマスターがいるバーとか、賑やかな酒場だとか、そういったところではなく、平凡なチェーンのパスタ屋さんなんだから、ダサイなぁとも思う。でも、ダサくてもいいや。窓から見える道路脇のオリーブや、正面の本屋で本を見繕っている人をぼーっと見ているだけでも少しづつ心が晴れてくるし、だいぶ顔なじみになりつつある店員さんの顔を見るだけでも、仕事のミスによるダメージを減らすことができる。ここが自分にとっての「退避場所」なんだと思う。

 

 

ストレイテナーホリエアツシさんが以前、落ち込みたい時に聴くということで「Carissa's Wierd」というバンドを紹介していた。普段あまり落ち込まないという彼は、「こんなに嫌なことがあったのに、そんなに波風たたないの、自分?」と思ってしまい、とことんまで落ち込みたい時があるのだとか。そういうときはこの曲を聴く、という出会いって、いいなぁと思う。

 

落ち込みたい時に聴く曲か・・・自分の場合、居心地の良い場所に居て、顔が死んでいるような状態でもそっとしてくれる人が居て、そこでの時間を数十分過ごせば、有意義に落ち込むことができる。

 

吉祥寺のソファとサイドボード

趣味、と言えるほど深く知識を得ているわけではないが、このところ好きでのめり込んでいるものに、家具屋サイトめぐりがある。壁面本棚をつくったことがきっかけで、シンプルでかつ存在感のある家具が好きになり、いろいろなサイトを覗くようになった。

 

実家の近くの東松山に店舗があって、良質な家具を仕入れている家具屋の存在をつい最近知った。地図を見て、あの辺にこんな素敵な家具屋があったのか、とびっくり。倉庫の中にたくさんのヴィンテージ家具や照明器具、雑貨類が並んでいるのだとか。東松山で販売していて果たして儲かっているのだろうか、などといらぬ心配をしていまう。帰省時の楽しみがまたできた。

 

www.bellbet.net

 

吉祥寺にショールームがあって、椅子フェアが今日までということだったので、行ってきた。何十年も前から人に愛され続けた良質な椅子を見ることで、目の保養になればと思った。実際、そのデザインのシンプルさ、部屋にすんなり馴染むのではないかと思うような自然さがすごく良くて、刺激になった。

 

これかっこいいなぁ、こういうのが家にあったらいいなぁ、と思う一人掛けソファやサイドボードがある。調べたら、デンマークの家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーのデザイン家具だった。

 

一人掛けソファは「GE290」。松浦弥太郎さんの「日々の100」に登場する中目黒のソファに心奪われたのがきっかけ。正規品の値段を見るとびっくりするけれど、こういうソファでくつろぎたい、という夢は変わらない。

 

http://livedoor.blogimg.jp/bellbet_showroom/imgs/7/c/7cb1628f.jpg

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日々の100 (集英社文庫)

日々の100 (集英社文庫)

 

 

サイドボードは「RY25」。正面の扉がジャバラになっていて、一枚の板のように見えて実はそうではないのだとか。写真ではどう見ても一枚の板なんだけど、どうなってるんだ?と不思議な感覚に陥る、シンプルなサイドボードだ。

 

http://livedoor.blogimg.jp/bellbet_showroom/imgs/4/8/487cb65b.jpg

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こういう家具に囲まれたい、という漠然とした想いがある。それを実現するために、どうしようか、と時間をかけて考えるのが、楽しい。実は、正規品をそのまま買おうとは思っていない。なんとかそこにほんのちょっとだけ、自分のオリジナルを、というとおこがましいけれど、自分の色を加えたいと思ってしまう。モチーフは限りなくハンス・ウェグナーデザイン。そこに自分のこだわりを少しだけ。家具だって、もっと自由につくったらいいんだ。

CDが見つからないストレス

THE YELLOW MONKEYの新曲「砂の塔」をCDで聴きながら、書いている。初回盤、ボーナストラックにはライブ音源が12曲も!いま「楽園」。命の鼓動が動脈のハイウェイを駆け抜けていくのが分かる。掃いて捨てるほど愛の歌はあるから、好きな曲だけを聴く。

 

 

さかのぼること、3時間くらい前。発売日を含む平日にはなかなかCDショップに行けなかったので、休日の今日、買いに行こうと隣の行徳へ。なんせすぐ近くにCD屋が、ない。

 

すぐに見つかるだろうと思ってスーパーの中のCDショップに入ったら、ない。恐る恐る店員さんに聴くと、売り切れで入荷待ちとのこと。初回盤が手に入らないという不安が募る。その隣町にはまたCD屋がなさそうなので、浦安まで行く。スーパーに入って、またなくて、小さなCD屋に2軒入って、両方ともない。いよいよヤバイ。面倒だけど都内に行くしかないか?ネットショップか?いやいや、なぜってうまく言葉では説明できないんだけど、こういうときアマゾンや楽天には頼りたくない。ジャケットを手にとって、レジに渡して、お金を渡して、受け取りたい。

 

なかば放心状態になり、空腹も重なった。一旦帰ろう。帰って腹を満たして、夕方都内へ行く用があるから、そのついでに大きめのCDショップに行こう。それまでにどうか初回盤がなくなるなんてことがありませんように。それにしても、CDひとつ買うのに、こんなにストレスを感じるとは思わなかった。浦安駅の改札をくぐり、ホームへ向かおうとしたら、改札内文教堂があるのが目に入ったので、ダメもとで行ってみる。本ばかり。やっぱりダメか。CDなんて置いてやしない。と思ってホームへ行こうとしたら、レジ脇にCDの棚が。そして、目指していたジャケットの青が目に入り、拍子抜けした。なんだよ、こんなところで出会うのか。駅を降りる必要なかったじゃないか。

 

今日の教訓。このところCDを買う頻度なんてそんなにないんだから、買いたい時に限って近くに買う場所がないことに対して、文句を言うな。

 

軽い足取りで帰り、行きつけのパスタ屋でちょっと遅めのご飯を食べ、帰宅し、さっそくCDをかける。このドキドキ、昔はしょっちゅうだったのに、いまだに慣れない。

 

「砂の塔」はストリングスも混じり、深い音の層に包まれるような印象。かっこいい。「ALRIGHT」も、聴くほどにその歌詞のメッセージが突き刺ささる。なにより、いまここでこうして聴けていることが奇跡と思うんだ。

 

 

いま「球根」。ティザー映像で猿が「10分超」って言ってたもんだから、特に期待していた。長さの訳は、そういうことか。「球根」には、いまの彼らだからこそ出せる、大人のロックの匂いがする。この曲が好きでよかった。

 


イエモン、入門。篇 『砂の塔』スペシャルティザー映像 第四弾

 

コーヒーが冷めないうちに

喫茶店が好きだ。コーヒーが好きだ。正確に言うと、喫茶店でコーヒを飲みながらのんびりする時間が好きだ。この時間への愛は、社会人になりたてのころからほとんど変わらないように思う。営業で外まわりをしていたとき、ちょっと休憩しようと入った喫茶店での時間が、自分に与えてくれた癒しの効力は計り知れない。

 

コーヒーは昔から大好きで、とはいえいまは毎日何杯も飲むほどではなくなったけれど、美味しいコーヒーをいろいろ味わいたいという想いは常にある。缶コーヒーは、飲まなくなってだいぶ経つ。なんか邪道な気がするからだ。そうじゃなくて、別にこだわるほどではないのだけれど、ちゃんと人が(もしくは自分が)つくったコーヒーを、飲みたいと思う。

 

銀座にある店舗に出会ったのがきっかけで、大好きになったのが、南蛮屋。ここはそんなに敷居も高くないし、いろいろな種類のコーヒーが楽しめる。ぶるまんNo1が一番かな。ビスケットもオススメ。コーヒーを飲みながら一緒に食べようものなら、止まらなくなる。

 

www.nanbanya.co.jp

 

自宅近くでコーヒーを目当ての喫茶店に入ろうとすると、本八幡に行くしか選択肢がない。本八幡には、静かで居心地がよく、内装も素敵な喫茶店がある。千葉出身らしい写真家さんの絵葉書がそっと売られていて、あたたかい人間味を感じるのだ。社会人一年目を過ごした思い出の街で、何も考えずのんびり過ごす時間は格別。

 

今日、昼間吉祥寺で仕事があった。その帰りの総武線で、このまま本八幡まで行っちゃおうかなぁと思ったけれど、疲れてて帰りたいという気持ちが勝ってしまい、行けなかった。この喫茶店は、もっと自分の気持ちに余裕があるときに行きたい。

 

cafeyawata.exblog.jp

 

もっと近くにコーヒー屋はないのか、と思っていたら、手作り市で豆屋に出会った。オリジナルブレンドのパックコーヒーを買って飲んだら美味しかったので、違う味も試してみよう。いまはネット販売が中心だけれど、カフェ出店を目論んでいるようで、楽しみ。身近な居場所をつくりたい。

 

www.connect-coffee-company.com

 

いま、これを読んでいる途中。「過去に戻れる」という喫茶店が舞台。過去に戻ってどんなに努力しても、結果を変えることはできない。それでも主人公は過去に戻ろうとする。そして、結果は変えなくて正解なのだと気づく。

 

この本を書店で手にとったのは、なんでだっけ?そうだ、行きつけのダイニングに行く前に、そこでご飯とコーヒーのお供に読むための本を見繕っていたら、「コーヒー」の文字と淡い茶色の表紙が目に飛び込んできたんだった。美味しいご飯を食べながら、コーヒーを飲みながら、喫茶店を舞台にした小説を読むなんて、素敵じゃない。

 

休日の自分時間に、コーヒーは欠かせない。

 

コーヒーが冷めないうちに

コーヒーが冷めないうちに

 

 

砂の塔

この15年間を、首を長くして待っていたと言ったら、うそになる。彼らに「15年間待たせてゴメン。」と謝られるほど、彼らのことを怒りながら待ち続けていたのかと聞かれると、違う気がする。

 

中学高校時代は、彼らの音が身近にあることが当たり前だった。新曲が出る度にCDを買う興奮を味わっていた時期だ。しかし解散して、その生活は一変した。それでも、彼らの新しい音がないことにも徐々に慣れて、いつしか当たり前になった。当時の曲を繰り返し聞くことで、生きていけた。寂しさはあまりなかった。ソロで見たり聴いたり出来たし。だから、いまも「久しぶりだなぁ」という懐かしい感が、そもそもない。ないことが当たり前だったいままでの生活に、かつて眩しかった光が加わって、ちょっと贅沢になったくらいの感覚だ。

 

 

新曲のCMでのお母さんの言葉を聞いて、感動した。あぁ、待ち焦がれて再会するってこういうことなのか、と。娘が若者らしいイントネーションでぶっきらぼうに言い放つ。その時間の長さを余計に感じさせる。

 

お母さんの涙に、世間の気持ち、そこには当然僕の気持ちも含まれるのだけれど、それがすべて凝縮されていると思った。この涙こそ、15年待ってたファンの気持ちだ。だから、お母さんのあの涙に、ぐっと来るものがある。再集結なんてないんだろうなぁと諦めてた自分は、バカだ。

 

来週は、いち早くCD屋へ行って、初回盤を買わなければ。表題曲とカップリング(といっても再集結曲「ALRIGHT」だけど。これをカップリングと言うのか?)のほかに、ライブ音源が12曲。合計14曲!!これをシングルと言っていいのかい?

 

 


砂の塔 / THE YELLOW MONKEY

 


収録曲解禁篇 『砂の塔』スペシャルティザー映像 第二弾

 


母と娘とザ・イエロー・モンキー 『砂の塔』CM

ほんとうの味方のつくりかた

今日は、壁面本棚をつくってくれた家具屋さんが出展している表参道のギャラリーに行ってきた。場所柄、繊細で芸術的な作品が集まっていて、きっと自分が手に取るようなものはほとんどないだろうと思ったけれど、見るだけでも自分のセンスを磨くきっかけになるのではないかと期待しながら、休日でにぎわう表参道を歩いた。展示されている作品が放つ敷居の高さを感じさせるにおいに気圧され、結局焼き菓子だけ買ってそそくさとギャラリーを出た自分は、いつまでたっても田舎者だ。

 

 

大手町駅で地下鉄を乗り換える途中、好きでよく行く文房具屋「ノイシュタットブルーダー」に立ち寄る。小さな書籍コーナーがあるのだけれど、ここの本のセレクトセンスが、とにかく良い。もしかして自分のためにセレクトしてくれているんじゃないか、と思うくらいだ。松浦弥太郎さんの本は、たいていここで買う。

 

ほんとうの味方のつくりかた (単行本)

ほんとうの味方のつくりかた (単行本)

 

 

自分ひとりでできることなんてたかがしれている。自分のことを助けてくれる味方をどうやってつくるべきかが、いつもの丁寧で優しい文章で示されている。家族や友人など「外側の味方」と、健康や時間、情報など自分の内面をつくる「内側の味方」。それぞれを味方につけるためにはどうやって行動したらよいか、あれでもないこれでもないと考えること、さらにもっといい答えがあるだろうと考え続けることが、必要なのだと分かった。

 

大手町で乗り換える機会には、必ずこの文房具屋に立ち寄る習慣が身についている。今日なんか、表参道駅までの複数のルートのなかからわざわざ大手町駅経由のルートを選んだくらいだ。しかしこれ、お気に入りのお店で文具を見たい、というより、松浦弥太郎さんの新しい言葉に会いたい、という気持ちだったと言ったほうがしっくりくる。「本を読むということは、情報収集を目的とするというよりは、その著者の話を聞く、という感覚」という言葉があって、まさにそのとおりだと思った。

 

手づくり市での出会い

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自宅のすぐ隣に大家さんの管理する建物があって、そこで定期的に手作り市をやっている。昨日今日と二日間がそれだった。

 

大家さんがいろいろなところに出向いて、良いモノをつくっている作家さんに声をかけているのだということを、誰からともなく聞いた。自ら足を使って人に会い、イベントをつくる、そんな大家さんの取り組みに、楽しく参加させていただいている。一生ものの壁面本棚をつくってくれた家具屋さんに出会ったのも、この手作り市がきっかけだった。本当に、大家様様だ。

 

どちらかというと女性が興味を持つような小物が多いのだけれど、その中に木製雑貨や革製品、多肉盆栽、美味しそうな焼き菓子、ジャムやチョコなどもあり、見ているだけでも面白い。自分がつくったものを、つくった本人が誇りを持ってアピールして、売る。自分の作品を売り込む作家さんを見ると、たとえあまり興味のないモノをつくっているのだとしても、応援したくなる。

 

昨日は、参宮橋でレストランをやっているというお店がビン詰めのジャムとブロックチョコを売っていて、思わず買ってしまった。そして今日は、近い将来行徳でカフェをオープンするというコーヒー屋さんのコーヒーと、松戸のシェアスペースでイベントを行うというお菓子屋の焼き菓子を買った。休日に自宅でコーヒーを飲みながら焼き菓子を食べる自堕落な自分の姿を想像して、まぁいいや休日だし、ちょうどコーヒーも切らしてたところだし、なんて思ってしまった。でも、新しいコーヒー屋、焼き菓子屋に出会えたのは、よい収穫だ。

 

手作り市とかマルシェとか、お店が集まる場というのが、好きだ。そこには、新しい出会いへの期待感もあるけれど、それ以上に、自分の作品をアピールしようとする作家さんの熱意を感じたい、という気持ちがあるのだと思う。「自分がつくったものを一人でも多くの人に伝えたい」という想いは、そのまま自分の仕事でも役に立つ。だから自分は、モノを見ているようで、実はそのモノの良さを伝えようとしてくれる「人」を見ているのかもしれない。その人からは、意地悪な客に見られそうだなぁ・・・

 

普段スーパーとかでは決して買わないようなものでも、こういう場で手づくりのものを見ると、つい手に取りたくなるから、不思議だ。

 

蓄えの一切を使い切る覚悟

齋藤孝さんの「〈貧乏〉のススメ」を読んでいる。

 

<貧乏>のススメ

<貧乏>のススメ

 

 

こころに貧乏をもつこと、それはすなわち、そこから這い上がってやろう、成功してやろうという向上心をもつことなのだと思った。多感な時期に飢えた経験が、今後、またそうならないように努力しようという力につながる。そうやってこころの貧乏を力に変えられる人は、強いんだろうなあと思う。

 

この本の中で安藤忠雄著「建築家 安藤忠雄」のなかの言葉が紹介されている。「蓄えの一切を使い切ること」を、覚悟をもって自分はできるだろうか。自分はかつてそれくらいの気概を持って取り組んだことがあっただろうか、とこの言葉の重さを噛み締めていたら、そういえばこの本持ってるじゃないか、とあとで気づいた。手元にこんな重要な本を持っていることを忘れているとは、もったいない。

 

本を読みながら、そこで別の本の言葉に出会う。ある本を読んだことがきっかけで別の本を知り、さらに世界が広がる。こうして次から次に読むべきものへとつながっていくのも、読書の面白いところだ。齋藤孝さんの本を読みながら安藤忠雄さんの言葉に出くわすとは思いもよらなかったけれど、これも出会い。

 

蓄えの一切を使い切る覚悟で何かをしたことがありますか?

 

その答えとなる「これだ」がないってことは、自分はいままで気概をもって取り組んだことがないってことなのだと思う。そう思った瞬間に、このままではマズいという、得体の知れない危機感を感じた。このままではマズい。でも、じゃぁこの不安を解消するために具体的に何をしたらよいのかは、分からない。

 

勉強するしかない、というのが、途中までであるがこの本を読んで得た答えだ。パンを片手に専門書を読みあさる日々、というのは安藤忠雄さんの勉強時代のエピソードだけれど、こういう気概を、もつべき。そして、齋藤孝さんの言う「リフレイン読書」。一冊の本を10回読めば、変われる。そうであることを信じて、一冊一冊を大切に読みこなそう。

 

建築家 安藤忠雄

建築家 安藤忠雄

 

 

コースチェンジ

走ることを習慣にしよう。その習慣を取り戻すことができれば、平日の仕事への向き合い方も変わってくるのではないか。スニーカーを履き、外へ出る。土日両方走って平日走らないとバランスが悪い気がするから、週一日で良しとする。毎週、少し走る。続けられらたら自分が変わるのではないか、と思いながら。

 

とはいえ、先週張り切りすぎてボロボロになったことを身体がまだ覚えていたから、ちょっと怖気づいて今日はコースチェンジ。信号のない道をゆっくり走りながらぐるっとまわって家まで戻るというコースを、今日作った。時間にして15~20分くらいか。これくらいがちょうどいい。

 

10月に入り、だいぶ涼しくなったとはいえ、今日は天気もよくやや気温も高め。日曜日ということもあり、河川敷ではバーベキューを楽しんでいる人がたくさんいて、楽しそうだった。こうやって休日を満喫している大勢の人を横目に、自分を痛めつけるように走るのが、なぜか心地よい。自分も人とは違う形ではあるが、こうして身体を動かして休日をリフレッシュタイムにあてているのだ!

 

走り終わったとき、これならそんなにしんどくないぞ、と一瞬でも思ってしまったから、平日も朝早く起きれば走れるんじゃないか、なんてちょっと欲張った想像を、した。して、すぐに撤回する。いやいやダメだ。そんなに自分をできる人間だと思ってはいけない。きっとすぐに力尽きるんだから、ハードルを上げてはダメだ。

 

サブマリン

10月1日。土曜日。

 

駅前のパン屋では「コーヒー週間」と銘打って、コーヒー2杯目を150円で飲めるというキャンペーンをやっていた。サイフォン式でけっこう本格的に入れてくれるそのコーヒーが好きで、ラッキーとばかりにコーヒーを飲みながら、伊坂幸太郎さんの「サブマリン」の残りを読む。

 

かなり時間がかかったが、読了。読み終えて、全体のストーリーを俯瞰しづらいこのもどかしさがなんともいえない。ガツンと胸に来る話というよりは、読んでいる時間中に胸をくすぐられていて、その痒さが読後もわずかに残っているような感じ。これこれこういうストーリーで、この場面が面白い!と端的に言葉にできないので、自分の読解力がないのか?要約力がないのか?と不安になるのだけれど、それでもいいや、と開き直ることにしている。読書(特に小説)の楽しさは、読んだあとに心に残るかどうかよりも、読んでいる最中の時間そのものにあるのだという言葉をどこかで聞いて、その通りなんだなということを、伊坂幸太郎さんの小説を読むと感じる。

 

なんでなんだろう。陣内さん、だらしなくてテキトーなんだけれど憎めないのは。

 

サブマリン

サブマリン

 

 

 

夕方、少し仕事。管理組合の決算理事会に出席してきた。伝えたいことを頭の中で整理する前に喋り始めるものだから、結局しどろもどろになり、何が言いたいのかわからないような感じになってしまった。いつもの悪い癖だ。いい加減直そうよ。伝えるべきこと以外は口に出さなくていいよ。

 

 

帰宅し、閉店まで少し時間があったので、パン屋に入り、さっそく2杯目のコーヒーを飲みながら、一服。サブマリンは読み終わった。次は陽気なギャングを攻めようか。それとも勇気を出して死神シリーズに挑戦しようか。それにしても。どんなに頭を回転して考えても、タイトルのサブマリンの意味が、分からない。

 

愛ある仕事

エントリーしていた東京マラソンの落選通知メールが来た。なかなか思うようにいかないようだ。でもこれで走るための気力がなくなってしまうのも嫌だなぁと思い、休日の今日、久しぶりにRUN。

 

 

いつもの河川敷コースをゆっくり走り始める。序盤はいい感じだ。それでもだんだんと苦しくなり、腕も痛くなってくる。習慣にしていないと簡単に衰えてしまうということを、再認識した。

 

走っているときは確かに苦しいし痛いけれど、気分は決して悪くない。身体中の水分が沸騰して蒸発するような感覚を味わいながら、とりとめもないことをじっと考える。一人の時間、自分と向き合う時間がここにある。苦痛を紛らわしながら考えるこの時間が、けっこう好きなのだ。

 

 

目の前には、小さい子供を連れた夫婦が楽しそうに歩いている。あのお父さんも、子供や家族を養うために必死に仕事しているんだろうなぁ。翻って、自分は。自分のことで精一杯で、家族を支えるという現実感がまるでない。仕事はどうか。堂々とプロフェッショナルな仕事をしているかというと、実のところまだまだ自信がない。じゃぁどうすればよいのだろう。

 

「資格とか持っているわけじゃないから。危機感を持たないと、ただのヒトなんだよね」。作曲家の服部隆之さんが「オトナの!」で言っていたっけ。自分も、せいぜい宅建の資格をもっているくらいだ。その資格だって、最近でこそ士業になってちょっと格上げになったものの、それでも多くの人が持っている国家資格の一つに過ぎない。勉強さえすれば大学生でも取得できる、なんの実務経験も技術もいらない資格だ。これを持っていることで、いままで質の高い仕事ができたなぁと実感したという感覚は、ない。

 

まわりの一級建築士であるスタッフとは違い、専門家になれていない。本当に危機感を持たないと、ただのヒトだ・・・。

 

ではどうすれば喜ばれる仕事ができるだろうか。どうすれば自分が価値を提供できるだろうか。そうだ、事務所で設計した建築を愛すること、そこに住むクライアントのために最善をつくすこと、という熱意だ。愛のある仕事をすることで、知識不足や特別な技術がないことをカバーできるのではないか。愛は人から持つように強要されて持つものではないし、いま現在愛情を持っていないものに対して愛情を持つというのも難しいけれど、「あなたのことを考えていますよ」という想いがすこしでも相手に伝わるような、そんな仕事を意識したら良いのではないか。・・・具体的でないな。

 

 

折り返し地点にたどり着く頃には身体はボロボロで、とても折り返してスタート地点まで走れる気力は残っていないかった。帰りはゆっくり歩きながら、習慣化しないとダメだと喝をいれた。週に一度でも、続けられないだろうか。

 

昼過ぎまで寝て後悔

「普段の仕事の効率をあげるために、休日の過ごし方を変えよう」こういう主張をよく聞く。自分自身、休日が有意義でないと平日仕事に身が入らないと思っている。だから休日は楽しむ。どちらかというと、興奮してあっという間に過ぎてしまう過ごし方よりは、少しでも一日が長く感じられるようなゆったりとした過ごし方をしたい。

 

しかし、一日をこうしてのんびりと過ごしてしまうから、その時はそうしたいと思っているのだから良いのだけれど、夜になって後悔する。もっとできることがあっただろう、と。この後悔、何度目なんだ、と。

 

その後悔の一番の理由は、朝早く起きないことだ。その瞬間の面倒くささに身を任せて昼過ぎまで寝てしまうことが、その日を自堕落なものにしている最大の原因だろう。まずはここから直さなければ。

 

 

朝早く起きることでリズムが変わる、という点で思い浮かぶのが、この本だ。

 

「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!

「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!

 

 

4時に起きるのはさすがにキツイけれど、朝に時間を確保することで得られる報酬は多いと思う。朝に多くの時間を持つことを、いままで以上に意識したい。

 

休日をアクティブに過ごすことで自分をアゲる、という点で思い浮かぶのが、この本だ。

 

働くきみをアゲる 18の冒険 (Sanctuary books)

働くきみをアゲる 18の冒険 (Sanctuary books)

 

 

これは刺激になった。四輪バギーに豚の丸焼き、ツリーハウスにハンモックなど、おおよそ普通の休日では得られない体験を遊びとして取り込もうというもの。そうすると翌月曜からの仕事にも身が入るでしょう、と。

 

その通りだ、と大賛成できないのは、楽しかった余韻に浸ってしまって逆に仕事に身が入らないんじゃないかと思うから。だけどなにもせずぼーっと過ごして身体が硬直した状態より、よっぽど健全で、気分も良い。こういう過ごし方を、たまには取り入れたい。

 

 

今日も、昼過ぎまで寝ていたことを後悔しながら、こんな時間まで起きてブログを書いている。この時間の使い方をまずは改善せねば。

 

原木中山とハンバーグ

歩いて行くには少し遠いんだけれど、電車に乗れば10分後にはたどり着く。そんな素敵な場所に、行きつけのダイニングがある。自分が住む街と、西船橋との間に位置する小さなその駅は、いまはそこでのご飯を食べるときぐらいしか降りない。なにか特別なものがあるわけではないのだけれど、なんだか居心地がよい場所だ。

 

駅を降りると、そのダイニングに入る前に本屋に立ち寄り、なにか面白いものはないかと見繕うのが、ここしばらくの習慣になっていた。小さな本屋にひしめく本を眺めながら、さてどれを読みながらご飯を食べようか・・・と妄想する。これがまたいい。

 

ナイスガイでシャイな感じのシェフがはにかみながら出迎えてくれるダイニング。木のあたたかさに彩られたインテリアと、ちょっと暗めだが落ち着きのある照明が好きで、けっこう長居してしまうことが多い。以前、何度か食べに行っていた自分のことを奥様が覚えてくれていたことがきっかけとなって、大ファンになった。真面目そうな奥様と、これまた真面目そうなシェフのコンビが、そのまま料理の美味しさに繋がっている。いまはハンバーグがお気に入り。ハンバーグなんて子供が好き好んで食べそうなものを・・・と思いがちだけれど、あなどれない。自分にとってハンバーグはご馳走だから、そんな毎日食べようなんて思わないけれど、それでも結構な頻度で食べたくなる。ここのハンバーグは特に美味しくて、出会えてよかったと本気で思う。

 

原木中山に着いたら、腹ごしらえをする前に、駅前の本屋へ。それが習慣になりつつあったある日、いつもの本屋が消えていた。なくなっちゃったのか?と落ち込みそうになったが、目の前の張り紙に移転場所の地図が。それは現在位置から歩いて20秒くらいのところ。ちょっと移動しただけじゃないか!

 

私は本屋には当たり外れがあると思っている。それは当たりが良い店で外れがダメな店という意味ではなくて、ピンとくるような本がある店と、なかなか面白い本に出会えない店というのがどうしてもある。この店はどちらかというと外れ。おっと思って実際に買ったことがあまりない。それでも、立ち寄る場所が消えずに残っているというのは、素直に嬉しい。

 

本を読みながらハンバーグを食べる街。それが自分にとっての原木中山だ。