民泊とコーポラティブハウス

午前中、少し仕事。サポートしている管理組合の理事会で、民泊を認めるかどうか、それを管理規約にどのように組み込むかについて話し合った。そこでの意見に「民泊は無条件で悪、っていう考え方が好きじゃないんですよね」というのがあって、そうだよなぁ、と思った。とかく報道では民泊の弊害ばかりがクローズアップされ、民泊を舞台にした凶悪な事件もあれば、宿泊者によるマナーの問題もある。ヤミ民泊、なんて呼ばれたりなんかして。

 

しかし、本来は、オリンピックを控えてというのが本当の理由かどうかは知らないけれど、宿泊施設が不足するから、健全な民泊を推進しましょうよ、というのが趣旨でしょう?だから先行して大田区は特区民泊で緩和されているんでしょう?そうしたら民泊、ぜひやろうよ、といういいイメージが流れてもいいはずなのに、どうしてこうもヤミなイメージしか浮かばないんだろう。自分自身の個人的な嫌悪感だけが原因だろうか。

 

確かに、誰が住んでいるかが周知されているコーポラティブハウスにおいて、日にち単位で見ず知らずの入居者がうろうろしていたら、怖いだろうとは思う。住む前から顔見知り、というコミュニティがメリットの一つであるコーポラティブハウスと、不特定多数の人が泊まる目的だけのために集まる民泊。これらの間にはそもそも親和性がない。だから実際は、大半の入居者は民泊禁止、と思うだろうし、そのように合意形成して管理規約を変更するというのが大半の実態だと思う。

 

だけど、それだけでよいのか?とも思う。「許容してもいいんじゃない?」としてしまえば、じゃぁどうやって健全に管理組合を運営しながら宿泊者を招くことができるだろうか、と考えることもできるだろう。自分が運営しないにしても、管理組合が安心するためにはどうやって監督しようか、とか。いやいや、もっと堂々と、管理組合に経済的メリットをもたらすことができたらちょっとは抵抗感が少なくなるんじゃないか、とか。

 

そこから発展して考えるのは、いっそのこと民泊施設をコーポラティブ方式で企画したら需要はないだろうか、ということ。運営者を先に募って、土地をおさえて、ゼロから建物をつくる。そんなこともできるかもしれない。