「特になし」なんてことはない

週末に記事を書くことを習慣にしてもう何年もたつというのに、いまだに上手に文章を書くことができない自分に、はがゆさを感じる。「文章は、上手に書こうと思ってはいけません。上手に書こうとすればするほど、気持ちが伝わらなくなります」そう教えられたこともあった。しかし、いやいや、とは言っても、とも思う。言いたいことを、順を追って、丁寧に書く。それには、それ相応の覚悟と、労力と、集中力が必要だ。文章を書くことは、何も必要以上に難しく考えることはないのだろうけれど、でも本当はそれくらい、困難なことなのだと思っている。

 

 

今日は特別なことは何一つなかったな。だから書くネタがないや。どうしよう、また明日にしよう。そうやって今日一日をさらっとやり過ごし、翌日へと向かうなんて日も過去にはたくさんあった。わざわざブログに書くほどのことでもない、というように。だけど、本当にそうか?今日は特に何とも感じなかった出来事であっても、記しておけば、忘れたころに見直すことで記憶がよみがえる。もしかしたら、10年後には違った視点でその出来事をとらえられるかもしれない。なぜなら人は成長するから。そう気づいた瞬間、「特になし」とやり過ごしていたことがもったいなく感じられた。

 

過去に出会った出来事の蓄積が、今日の自分を形づくっているということを知る。今日出会った出来事が、それがどんなに些細なことであっても、結果として自分の人生に必要不可欠な出来事だったのだと信じる。なんとなく過ぎる今日も、将来なりたい自分になるための一ステップになっていると気づく。それが大事だと思った。

 

 

昼間、仕事。コーディネートをしているコーポラティブハウス管理組合の理事会で、大規模修繕工事見積の打合せ。工事会社を決めるためのプロセスに積極的にかかわろうとする入居者の姿を見て、住まいへの愛着を感じて嬉しく思うと同時に、あなたももっと当事者意識をもってちゃんと考えなさいよ、と指摘されたような気がした。見慣れないであろう見積書を真剣ににらむ入居者の姿を、流れゆく一仕事の一風景ととらえて忘れてはいけないと思った。