退化

電車に乗ってる最中に電話が来たので、途中駅で降りた。通話後、電光掲示板を見たら、次の電車が来るのは6分後。その瞬間、「6分も待つのか・・・」と少しイラっとした。別に急いでいるわけでもないのに、6分の待ち時間を長いと感じた、そのことを冷静に振り返って、せっかちになったなぁ、と思う。

 

以前はこんなに急いでなかった。電車を15分待つのが当たり前だった学生時代に比べたら、驚くほどの変化だ。それも、悪い方への変化。成長とは真逆の、退化だ。いままでなんともなかったことに、不快感を感じたんだから、退化だ。

 

これを、時間を大切にするようになった、と、とびきりポジティブにとらえようと思えばいいのかもしれない。確かに、いままでは無駄な時間を費やしていたことに気づいてすらいなかった、最近はそのことに気づくようになった、だから良いことだ、と正当化することもできる。いやでも、そうではない気がする。やはり、退化だ。心に余裕が無くなったんだ。

 

平日昼間の食欲が少なくなった。以前は、外出先で昼間になにを食べてやろうか、と考えるのが一つの楽しみだった。がっつり食べて、午後の打合せ中に眠くなるほどだった。それに対していまは、食べ物に頓着しなくなった。ひどい時は、食べることすら忘れる事がある。いや、これは嘘だ。忘れるわけではない。だけど、結果食べないことがある。これは、食欲以前に、別の問題が関わっている。いまはその話はいい。

 

「いままでできなかったことが、できるようになった」これは成長だし、これに当てはまることはたくさんある。逆の「いままでは問題なくできていたけれど、いまできなくなった」これも実はある。そしてこれがあると、気分が悪い。成長と相殺されて、チャラになっちゃいそうな気がする。4年前はフルマラソン走りきる体力があったし、高校時代は1.5キロを5分半で走る体力があった。なにより、3年間毎日剣道の稽古をする体力があった。それがいまは、ない。体力がないというより、気力がない。「いまは運動していないんだから、当然でしょう」そう言って片付けてしまうことは簡単だ。でも、そうじゃない。運動して一度身に付いた体力、気力は、未来永劫身についていてしかるべきだ。そう思うから、気分が悪い。

 

せっかちになったなぁ、短気になったなぁ、そう思うタイミングが来たら、少し心を落ち着けて、あの頃の、(言い方は悪いけれど)鈍感な気持ちで臨むのが良い。次の電車が来るまでの6分で、できることは実はあるんだ。