朝の掃き掃除

 

朝、駅のロータリーでゴミ拾いをしている人を見た。駅前の再開発の現場監督だろうか、作業服に安全帯という格好。駅へと向かうたくさんの人をささっとよけるようにして、淡々とゴミを拾っていた。その姿を、発車待ちの電車の窓からぼんやりと眺めながら、ふと自分の数年前、十数年前のことを思い出した。

 

17年前。社会人になり、新卒で就職した建設会社では、営業職に配属された者も3か月間の現場研修を行う必要があり、私は当時住んでいた市川のマンションから自転車で10分程度の現場に配属された(なんと同じ市内!)。電車で遠くまで通っていた同期もいたなかで、自分は運が良かった。

 

朝の8時に朝礼が始まる、というところまではまあ想定内だったけれど、なにより主任が早起きで、7時15分くらいには現場事務所に来ていたから、それよりも早く来て事務所の掃除くらいしろよ、と現場所長に(冗談半分だったのかもしれないが)言われたのを鵜呑みにし、毎朝7時に現場事務所に行っていた。眠い目をこすりながら事務所につき、まず掃除をする。事務所がビルの2階にあり、2階までの階段のゴミを(泥などをつけた靴で職人がたくさん歩くから、きっと汚れも多かったのだろう)ほうきで掃いてきれいにした。それを、なるべく主任がやってくる前に終えていた、と思う。やってきた主任に、「おう、偉いな」と言われるのがどこか恥ずかしかったからだ。褒められることを期待することもなく、いつのまにか終えていた、という状況にしたかった、という当時の自分なりの美学みたいなものがあった。監督という立場であろうが何であろうが、直接自分の役割であろうがなかろうが、身のまわりをきれいにするために自分自身が動くことをいとわなくなったのは、この頃の習慣がきっかけなのだろうと思う。

 

そしてもう一つの記憶は、2年前まで働いていた前職の設計事務所でのこと。(比較的)朝に強いことが功を奏したのか、また10時始業というゆとりある業務スケジュールだったからか、事務所に来るのはたいてい一番のりだった。玄関前の落ち葉やほこりが気になると掃き掃除をしたくなる。そうすると、次のスタッフがやってくる前になるべく終えようと、そそくさとほうきを滑らせるのだった。建設会社勤務の時に現場所長によく「もっと観察力をもてよ」と注意され、設計事務所でも「ぼーっと見てないで観察しろ」と言われていた。だから「掃除のひとつもできないのか。汚れているのを見て気にならないのか」とチクチク言われるのが心から嫌で、なら言われる前にと半ば焦りながら掃除をしていた。ただ掃除をしている時だけは、いいことをしているという優越感からか、さわやかな風が全身を通り抜けるようで、朝から気持ちが良かった。

 

これらの記憶が、いまの自分を支えている。最近は毎日の習慣にまではなっていないけれど、賃貸暮らしの自宅マンションの共用部分で汚れが気になれば、掃いたりはする。当たり前のことだ。

 

こうした日々のちょっとした良い習慣は、過去の出来事が起爆剤になって生まれている。駅前でゴミを拾う現場監督を見てそのことに気づき、過去の出来事を忘れずに胸にしまっておくことの大切さを痛感した。