「不機嫌が許されるのは、赤ん坊か天才だけ」この言葉に出会って以降、不機嫌は悪だ、上機嫌に行こう、と自分に言い聞かせながら、今日に至る。それでも、上機嫌男にはなれずにいる。正確に言うと、「上機嫌を技化する」ことができずにいる。
自分がぶすっとした対応をとられたりすると、当たり前だけれど、イラっとする。相手の機嫌が悪そうだと気づくと、つられて自分も暗くなる。で、あまり話しかけないようにしよう、そっとしとこう、と思う。そういうときの空気が、心地よいはずがない。不機嫌の波は、伝播する。
これは、自分にも言えることではないか?機嫌の悪い人の近くにいると自分も機嫌が悪くなるのだとしたら・・・いま目の前の人の機嫌が悪いのは、自分の機嫌の悪さが伝わっているからではないか?じゃぁ、少なくとも自分は上機嫌でいなければ。別に難しいことじゃない。24時間365日いつもニコニコしていろと言っているのではない。他人と空間をともにしているときに、上機嫌を装って、というとちょっとニュアンスが違って聞こえるけれど、要は上機嫌になるための自分スイッチを入れさえすれば良い。難しいことじゃない。
「不機嫌が許されるのは、赤ん坊か天才だけ」この言葉が頭の中に入っていれば、とてもじゃないけど恥ずかしくて、みっともなくて、不機嫌なんてやっていられないはずだ。「怒っちゃだめ。怒って良いことなんてひとつもない」「オトナの!」でかつてこう言った押井守さんの笑顔を、思い出す。怒っちゃだめ。不機嫌はだめ。上機嫌で行こう。仕事中に「あぁ、いま自分の不機嫌が空気を伝わっちゃってるなぁ」と思うことが多い、自分への戒め。「不機嫌なオレ、近寄りがたい雰囲気を出しているオレ、ちょっとカッコいいかも」なんてほんの少しでも思ってしまっている、自分への戒め。