落ち込んでいる姿は他人に見られたくない

今日という日が 明日という日が絶望ばかりの毎日でも

こぼれそうなあの笑顔を探している

GLAY/MIRROR)

 

 

仕事がなかなかうまくいかず、まぁそれはいつものことなのだけれど、落ち込むことがある。そういうときは、無理に気を紛らわせようとか、考えすぎないようにしようとか、ポジティブな方に考えるのではなく、気分が向かうままに落ち込もうと決めている。どんなに凹んでも、時間が経てば回復するということが体感的に分かっているから。

 

そういう気分の時。いままでは、よく行く居心地の良い店でご飯を食べたりコーヒーでも飲んだりするのが良いと思っていた。顔なじみの店員さんの笑顔に会えた日には、まぁ自分の悩みなんて小さい小さい、と思えたものだ。しかし最近、この気持ちが変わりつつある。落ちている日に、好きなお店に入って一人の時間を過ごすことを、本当に自分は望んでいるのか?

 

そんなことはない。好きで入っているはずの店の空気が、自分の気持ちが感染してどんよりするのは嫌だし。不愛想な顔を店員さんに見られて「感じ悪いな」と思われたら嫌だし。そんなことで、好きな店が行きたくない店になってしまうのは嫌だし。

 

だから今日も、行きつけのパスタ屋のドアを開ける気にはなれなくて、向かいの本屋で、何を買うでもなく本棚を眺めて歩いていた。2往復もしたらさすがに「今日はこれを買おう」という本がないことにだって気づく。それでもしばらく店を出ずに本の背表紙を目で追っていたのは、この言葉で表現しづらい燻ぶった気持ちを、少しづつ落ち着かせたかったからなのかもしれない。そんな姿を、顔なじみの人に見られるなんてありえない。この程度のことで沈むほどペーペーじゃないだろう、お前は。