許される失敗と許されない失敗

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8月30日。土曜日。

 

昼間、少し仕事。吉祥寺では、入居者からの指摘事項を建設会社監督とチェックしてまわる。そのあと、賃貸事務所の表札カッティングシートを貼り付けるために後楽園へ。カッティングシートは何回かつけてはいるが、細い文字はそれは貼りづらく、緊張する。すんなり貼れればよいのだが、少し間違えて貼り直そうとすると、ぐちゃぐちゃになってしまう。カッターを片手にそっと剥がしながらきれいに直して、という細かいことをやりながら、手術をする医者になったかのような、変な気分を味わった(本物の医者はもっと大変だ)。

 

 

ただのシート貼りと医者の仕事とを結びつけるのも短絡的だけれど。医者の、手先の細かい作業を要求される仕事をイメージしたときに、この本で紹介されていたことを思い出した。

 

失敗が教えてくれること

失敗が教えてくれること

 

 

「ふだんは温厚なベテラン執刀医も罵声を浴びせるわけ」(p63)で、ベテラン外科医が若手外科医を時には叱責して教えているということを紹介している。外科医の手術にとっての失敗は患者の命に関わることで、「たまには失敗しても良い」というレベルではない。だからといって、人の身体を使って念入りに練習する、ということはできない。失敗ができないからこそ、その手術に立ち会うベテラン外科医は、一定の緊張感をもって指導をする。それでやっていけないことに気づき、外科医の道を諦める若手も多いのだという。それはそれで辞めてもらって結構、そのほうが良い、と考えるのが、その道の流儀なのだとか。

 

失敗が許される「利益獲得型」の課題と、失敗が許されない「損害回避型」の課題の二つに分けられる。多くのビジネスが、失敗を繰り返しながらノウハウを蓄積して、大きな利益を得る前者であることに対し、外科医の仕事は、後者になる。「失敗は成功の元」と開き直れるのは、それが利益獲得型の課題であったから。医者が手術を失敗して「失敗したけど、次成功すればいいや、ドンマイ」と言ったら、怒られるだろう。

 

 

許される失敗と、許されない失敗。この二つの区分けを意識して、許される失敗には、できる限り怖がらずに立ち向かいたい。失敗したことにくよくよするんじゃなくて、それを糧にすべき。許されない失敗は・・・損害回避型の課題は、私にはそんなに訪れないのかもしれない。カッティングシートをいじりながら「医者になった気分だ」なんて、おこがましい。