東京マラソン2015にエントリーした。狭き門ではあるが、また走りたい、という純粋な気持ちが、エントリーボタンを押す勇気をくれた。
また、と言ったのは、ダメもとでエントリーした5年前、たまたま当選し、一度走ったことがあるから。あの時は、当選したことにまずビビり、そして舞い上がった。当日は、とにかくまわりの盛り上がりに気圧されて、終始自分の走りを貫くことができず、完走はしたものの、満足できる走りはできなかった。それでも、チョコや人形焼をくれた沿道の方々の存在が励みになったし、要所要所での応援が刺激になった。単純に嬉しかったから、また走ろう、と思うようになった。
いまは、もっと別の走る動機があるように思う。自堕落な生活の産物である身体を、そして心を、引き締めたいという、動機。フルマラソンを走るという大きな目標があれば、走れるように練習を持続できるだろう、そうすれば、少しは理想の心と身体を身につけることができるのではないか。そういう気持ちは、4年前には、なかった。
エントリーしてから今日まで、当選したらいいな、と祈りながらも、じゃぁ来るべき本番のためにジョギングをしているのかといえば、していない。なぜか、重い腰が動かない。
周囲では、走っているすごい人はたくさんいる。定期的に(それも朝)、自宅周りを走ってそれをfacebookで報告してくれる元同僚。先日竣工記念パーティで会ったお客さんは、北海道でのフルマラソンを翌週に控えているといっていた(もしかして今日じゃないか?もう走り終わってるんじゃないか?)。100キロマラソンも走ったといっていた。自由が丘の自宅から小田原まで走ったといっていた。そして伯父。それだけ周りに走っている人がいて、自分のモチベーションをアゲてくれる要素がたくさんあるのに、それでも定期的に走ることができないということは・・・もしかして腰に鉛でもくっついてるんじゃないのか?
いやいや、気持ちの問題だ。長い距離を走ろうと気負うから、ダメなんだ。苦しくなるまで走らないと効果がないと思うから、ダメなんだ。気温もだいぶ下がったし、この記事を書き終えたら、少し走ろう。鉛なんか、ついてない。