悪い癖

11月11日。日曜日。

 

事務所にて。

 

昨日、本物の建築家からナマの講義を聞いて、興奮冷めやまないまま自分の仕事に戻った。第一線で活躍する建築家が建築に対してどう向き合っているのか、その真摯すぎるくらい真摯な姿勢に、刺激を受けて今に至る。本当はその刺激をすぐにでも目の前の仕事に向けるべきなのだが、「ああしよう、こうしよう、いや、こうしたらいいんじゃないか」とか理想だけが頭の中をぐるぐる回って、実際に行動に移せない。これが私の悪い癖だ。

 

久しぶりに大学に行って、現役の大学生にまぎれて講義を聞いた。現役の学生のまじめさに触れて、当時の自分はそうじゃなかったな、とがっかりした。まじめに考えてはいるんだけど、理論ばかりが先行して、いいたいことが頭の中を駆け巡って、結局うまく整理できずしどろもどろな質問になる。そんな「ぎこちなさ」が学生ならではで、だからこそ、社会人になった自分はそうであってはいけないと、自らを律するきっかけになった。

 

本とかで建築家が自分の学生時代を振り返って、決してガリ勉の優等生ではなかったと言う方が多いように思う。五十嵐さんも、あんまり勉強はしていなかったと確かおっしゃってた。だから、学生時代に必死に勉強していたかどうかと、その後の社会人生活での成功には立証できるような因果関係は無いのかもしれない。恥ずかしながら私も、学生時代に授業で勉強したことをほとんど覚えていないし、いま設計事務所で仕事しながら、「あ、これはあのとき授業で出てきたな」と気づくこともほとんどない。だいたいが社会人になって実際に施工現場に行って知ったことや、知らずに恥ずかしい思いをしてあわてて調べて知ったことのような気がする。だからといって大学の4年間が無駄だったと思ったことは1秒もないけど。

 

さっき言った事と矛盾するけど、私は、学生時代に必死に勉強したかどうかと、その後の社会人生活での成功には因果関係があると思っている。学生時代に勉強しなくても、仕事しながら覚えていって実績を残せる器用な人はいるかもしれないけど、必死に勉強したんだけど仕事で実績が残せなかった、というほど器用でない人は実はいないのではないかと。もし自分がそうだと思う人がいたら、それは器用でないのではなく、ただ実績が残せるくらいの勉強量が足りなかっただけなんじゃないかと。

 

えらそうなこと言いながら、私も実績を残せるくらい勉強したいと頭では描きながら、結局はまだ実行できてない臆病者。寝不足で不快な思いをするのが怖い。他の快適な誘惑に負けてその苦痛を避けている。それじゃぁ安藤忠雄にはなれませんよね。