11月10日。土曜日。
夕方、卒業した大学の講演会に出席。
建築家・五十嵐淳氏を招いての建築学科主催の講演会。バリバリ活躍している建築家の話を母校で聞けるとあって、大学時代の友達を誘って行ってみた。
卒業以来ほとんど行ってなかったキャンパス。芝生だったはずの場所に新しく出現した講義棟に恐る恐る入る。
講義は五十嵐さんの建築の紹介を中心に、「風除室(バッファー)」をテーマにして展開された。写真とかで見てたものもあったけど、あらためてご本人の口から説明を聞いて、その迫力に圧倒される。
1時間程度の講義の後、教授を交えてのディスカッション、そして質疑応答へ。
今日の講義での私の頭の中の思考を整理する。
・世間は画一的な住宅にあふれていて、それらを好んで住む消費者が多いというのもまた事実。そういう社会だからこそ、消費者にとって本当に快適なことは何かを考えて、アイデアをだして、そのアイデアを具現化した建築で、画一的な住宅を覆っていきたとおっしゃっていた。それは私もその通りだと思う。本当に人間一人一人にとって快適であることを頭を振り絞って追及して、それを具現化できる建築を企画すれば、画一的な住宅に浸食されるはずはないと。
・ひとつ、自分なりの質問を考えていた。「実際に独立してこのような建築をつくるまでに至った本日まで、具体的にどういう勉強をしてきましたか?」という若干幼稚な質問。あまりに現役学生の質問のレベルが高くて聞きにくくなり、迷いながら、結局手があげられなかった臆病者。でも、講義や質疑回答を聞いて、自分の質問に対してきっとこう答えるだろう、という想定解を勝手に自分で出した。何を勉強したら一番いいかなんて考えずに、実務の中で知らないことをただひたすら勉強し、実務をこなしながら貪欲に知識を吸収していったのだろう。たぶん「どう勉強したら実績を残せるか」という質問自体が、そのために努力する気力を自分から奪うことなのだろう。そう勝手に解釈した。とこういうとカッコよく聞こえるが、結局は自分がコーディネーターのいう「こういう時に手を挙げられない臆病者」であることを正当化してるだけです。
・「貧乏旅行でもいいから、海外に行けなければ国外だっていいから、いまとは違った環境に身を置くという体験をしてほしい」といった言葉がまた出てきた。数えきれないくらい聞いたセリフだから、きっとそれくらい効果的なのだろう。大学が秋入学制になったら半年間の空白期間に旅をする。そこには一定の効果があるのではという意見には、なるほどなと思った。大学生はそもそも暇だし。社会人やってない分、実務での体験がそもそもないわけだし。自分で企てて旅をするのは、いいこと、というよりむしろやらなきゃ損なことだろう。
・五十嵐さんみたいな建築家がたくさん、いろんなことを考えていろんな建築をつくる社会。そういうなかで自分の役割を考えると、まず五十嵐さんと同じ土俵に上がろうとは考えられない。競合多すぎるし、今の時点でセンスに差が開きすぎてるし。じゃぁどうしようと自分なりに考えると・・・建築家の仕事は基本的に「クライアントからの依頼」があってはじめて成立する。依頼者がいなければ仕事はない。だとしたら、設計事務所ではあるが、設計スタッフではなく、プロジェクトの立ち上げに携わってる自分としては、その設計センスで勝負するのではなく、なにもないところから仕事をつくるというプロセスを継続的につくりあげることで勝負したい。調べてないからわからないけど、それなら格段に競合は減るでしょう。
・建築家がつくった建築、とくに住宅を「作品」と今日も言っていたけれど、その言葉には違和感がある。仮にその講義を施主が聞いていたとして、施主の自宅をその設計者が「自分の作品」と言ったら、施主は怒るんじゃないかと。設計者に「作品」と言わせないくらい、その建築には施主の考え、哲学が反映されるべきだ。絵とか映画とかそういうのじゃないんだから、「作品」じゃないでしょう。
「このあとの懇親会が本番です」という言葉をふりきり、キャンパスをあとにする。暗くなったこもれびの道を歩きながら、すごい建築家の言葉を生で聞いたことに興奮しながら、「ウシ、明日からまた頑張るか」と思った。