小さな建築

転職してからというもの、自宅より東(千葉方面ってことね)にあまり行かなくなった。それも少し寂しいことだと思い、ちょっと出かけてみよう、と暑い中、電車でIKEAとららぽーとへ。日曜日ということもあってか、なかなかの混雑ぶり。車で来ようとすると、渋滞で無駄な時間を費やしてしまう。これで武蔵野線との接続がもっと多ければ、電車でのアクセスにも負担がかからずに済むのに。そうすればもっと繁盛しそうなのに。

 

話は変わって、隈研吾氏の「小さな建築」を読んだ。たくさんの人や会社が関わり、多額のお金が動き、様々な法規制がかかる。そんな「大きな建築」に対抗した「小さな建築」を、積む、もたれかかる、織る、ふくらます、といった方法でつくる過程を紹介している。

 

小さな建築 (岩波新書)

小さな建築 (岩波新書)

 

それらのつくりかたも面白いが、特に興味をもったのが、3.11は大きな建築をつくってきた社会に対する天誅なのではないか、という考えだ。もしも震災が、大きな建築をつくる過程で、森林を伐採して、海を埋め立ててきたことへの罰だとしたら。もしも原発事故が、大きな建築の運営を賄うために原子力発電所をつくったことへの戒めだとしたら。なかなか考えさせられる。まるでバベルの塔だ。

 

不特定多数の人が集まる、社会への影響力が大きい建築が「大きな建築」だとしたら、特定の誰かだけにとって有益でさえあればいい、社会に対して問題提起をするわけではなく、ただ施主に対しての最低限の回答でさえあればいい、そんな「小さな建築」があってもいいと思う。大きな建築はプロの皆さんにお任せして、自分はそんな「小さな建築」の供給に携わりたいな。そのほうが性に合ってる。

 

IKEAという大きな箱の中では数百人が家具を見て回っている。ここで大地震が来て建物が倒壊したら・・・。京葉線が脱線して国道を越えてららぽーとに突っ込んだら(そんなことはないと思うが)、これまた買い物客数百人に関わる。大きな建築をつくる責任ってのはことのほか大きい。今日、大地震が来なくてよかった。