モノを持つということ

果たして自分は、モノをたくさん所有したいのか。それとも、手放して身軽になりたいのか。どっちなんだろう、と考えることがあります。松浦弥太郎さんのエッセイを読みながら、自分にとってストーリーのあるものだけを持ちたい、と思ったり、かと思えば、極端な例だけど、お金がなくなって空腹に耐えられなくなったら、大抵のものは売ってお金に替えてしまうのだから、モノを持つことに執着すべきでない、と思ったり、とにかく心は揺れています。どっちが正しいのだろう。自分の価値観はどっちなのだろう。

 

家に関しては、昔から所有意欲があります。田舎育ちながらの価値観から脱却しきれていないところがあると思います。広い庭のある一軒家を、自分で設計して、建てて、住む。それが、子供の頃からの夢でした。自分で設計するということはたぶん叶わないと思うけれど、そして、一軒家という点に固執するつもりは今はないけれど、それでも、やっぱり自分の生活を彩る住処くらい、人から借りるんじゃなくて、自分でつくって、所有したい。賃貸暮らしを否定する気はない。その証拠に、現にいま、身軽な賃貸暮らしを満喫している。それでも、これだという土地やプロジェクトに出会ったら、それを逃さず、いままで頭の中にインプットしてきた情報の集大成として、自分の住処をつくりたい。そう思います。

 

家以外の、衣服であったり、家具であったり、雑貨であったり、本もそうかもしれないけれど、そういったモノは、永く大切に大切に使っていけると思えるものだけを持って、そうじゃないものは持たない、と決めてしまうのも良いと思います。それこそ、肌身離さず持っていたい、自分のものだと自慢したいもの以外は、必要な時だけ使う借り物であったって良い。そう考えると、やっぱり貸し借りという考えも、必要なのだと思います。

 

ボールペンだったらこれ。本だったらこれ。腕時計だったらこれ。靴だったらこれ。ジャケットだったらこれ。ギターだったらこれ・・・というように、所有しているすべてのものに対して、ポリシーをもってこれを持っているのだ、それ以外はあまり必要としていないのだ、と主張できるようになれたら、きっと日常生活が一段と楽しくなるのではないかな、と夢がふくらみます。