文房具

文房具が好きだ。小学校の頃からかれこれ25年くらい、毎日特になんの感情もなく使っているものなのに。

 

 

中学高校くらいの時は、これがかっこいいから使いたい、とか、いろいろ試していたように思う。振って芯を出すシャーペンとか、握る部分のボタンを押して芯を出すシャーペンとか。普通にペンの尻に親指を持っていくなんて大した手間でもないのに、それを省略できるアイデアにびっくりし、欲しがった。

 

大学~社会人なりたてのころは、好きな筆記用具がどうとか、特に考えていなかったと思う。書ければ何でもいい。そんな感じだ。それでも、本で読んで大学ノートを仕事メモとして使ったりと、いろいろ試してみたりはしていた。そして、前職を退職するときに当時の先輩・後輩からもらったボールペンによって、文房具熱が再燃した。ここぞという時に使う、こだわりの一本があるというのは、こんなに贅沢なんだ、と再認識した。

 

 

ここへきて、特に好きなのが、手紙だ。きっかけは、松浦弥太郎さんの本で、ふと気持ちを伝えたい時に、気負わず、照れずに、手紙を書く、というのを読んだことだ。「筆まめでありたい」それは、このブログを始めた決意にもつながる。紙(じゃなくても別に良いのだが)に何かを書くということが少なくなって、それが当たり前になると、何にも書かれていない白紙のノートのように、自分の頭も空っぽになってしまわないか、と不安になったのだと思う。書く事で、考えたこと、ぼんやり思ったこと、画期的なアイデアなどを残しておかないと、いつまでも自分の頭が成長しない、ように思う。

 

松浦弥太郎さんの本を読んでから、「あっこの人に手紙を書いてそっと渡したいな。喜んでくれるんじゃないかな」なんて思う機会が増えた。人間、誰だって、人に喜んでもらえることが嬉しくないはずがないのだから、そういう機会に出会うと、なんて書いて渡そうかな、とワクワクする。そういうワクワクをもたらしてくれて、かつ書くことそのものを楽しい時間にしてくれる、そんな手紙が、いい。

 

お気に入りは、伊東屋で買った古川紙工のそえぶみ箋と、ロフトで買ったムーミンミニ封筒。とにかく小さく、書くことに対して負荷がまったくかからない。ムーミンを選んだのは、母校・東洋大学のパンフレットとかに登場するマスコットキャラクターだから、という表向きの理由の他に、どこかでミイやスナフキンの格言を読んで、「いいこと言う」と感心したという理由もある。やっぱり、書いて渡す以上、そこに自分らしさをさりげなく投影させたい、と思うものなのだろう。

 

 

今日、用があって後楽園へ行った。要件が終わったあと、駅中の本屋に立ち寄ったのだが、今日はどちらかというと、本より文房具を見たい気分だった。本屋にくっついている文具コーナーで、縦長のミニ便箋を見ては、これにさらさらっと筆ペンなんかで字を書いて、久しく会わない知人に送ったら、どれだけかっこよく、どれだけ清々しい気分になるだろう、なんて妄想した。読み手が喜ぶ姿をイメージするのも良いし、なんて書いたら面白がるかな、とあれこれ企てるのも良い。

 

 

服を買ったときに良くしてくれた、笑顔の素敵な店員さんに。社会人になってからかれこれ9年間、2ヶ月に一回は必ず会う美容院のマスターに。最近お気に入りでリフレッシュしに行くマッサージ屋の施術師さんに。ふと入った喫茶店の、可愛い女の店員さんに(それはさすがにマズイか・・・)。これをしたら喜んでもらえるかな、と考えるのは、ホントに面白い。