コーポラティブハウス

10月7日。日曜日。

 

事務所待機中。

 

自由が丘では毎年恒例の「自由が丘女神祭り」が行われているようで、駅前はにぎやか。平日でさえ人が多く、田舎ものの私はいまだに慣れませんが、日曜日のにぎわいといったら、それはすごいものです。休日に人が集まるまちはほんとに活気があっていい。そのなかの事務所にいて、都心のビジネスチャンスを探して仕事ができるいまの生活に、誇りを感じます。

 

大学生のときにコーポラティブハウスというものに興味をもちました。いわゆるデベロッパーの分譲マンションは確かにかっこいい。でもデベロッパーがつくった間取りによって入居者の生活が制約されてしまうのではないか。入居者が自分で設計に携わることができたら、それは幸せだろう、と短絡的にも思うようになりました。いまでこそだいぶ浸透してきて、不動産業者と話をしてもたいてい知ってるコーポラティブハウスですけど、私が大学で勉強していた7、8年前は、いまほど市民権をもっていなかったように思います。大学の講義で出てくるくらいだから、決して特殊な手法ではないにしろ、その拡充には問題点、というか、量産できない理由みたいなものがあって、まだまだ発展の余地がある、というように習った記憶があります。わたしはむしろ、その「量産できないしくみ上の問題点」にひかれ、じゃぁどうしたら今後供給実績が増えるのか、ということを、当時の馬鹿な頭で考えていたような気がします。フツーに考えたら、コストに透明性があって自由に設計できて、住民同士が仲良くなれるというメリットは、面倒くさいというデメリットを補って余りあると思うんだけど、と。

 

大学の4年間で、「これだ!」というようなものに出会えたものの、それを直接仕事にする会社に就職する、という選択肢はありませんでした。そんなんは雲の上の世界だと思っていて、まわりに建築的にすごいセンスのある学生が多かった中で、自分がそこに到着できるとは微塵も思えませんでした。そもそもデザイン力の自信がまったくないのだから、直接の建築設計から逃げて、設計者が設計をする以前の、一から建築を企画できる川上の立場がいいと思い、就職活動をしました。自社で土地を仕入れて分譲マンションを開発する数少ない建設会社のひとつを選び、営業マンとして6年間外を歩き回る日々。結果、建築物を企画する立場はそのままに、いままで得てきた施工に関する知識をいかして、でも施工する立場から一歩外に出て、本格的にコーポラティブハウスをゼロから企てたい、という想いに達し、今に至ります。

 

大学当時の夢を思い返すと、いまの仕事に就けたことは結果オーライのように思います。当時雲の上の存在だったコーポラティブハウスの立ち上げに実際携われてるわけだし。でも、まだまだ課題は山積で、これから考えなければならないことが多く、安心してる場合じゃないとも思います。

 

「じゃぁどうしたらコーポラティブハウスの供給実績が増えるのか」大学時代に気にし始めたその問いに対して、これから時間をかけて実務を経験しながら、自分なりの答えをだそうと思います。願わくば、総戸数5、6戸のコーポラティブハウスが希望者が集まらず事業断念、一方で総戸数100戸超のタワーマンションが即日完売、という(私にとって)アンバランスな住宅生産状況を、少しでも(私にとって)改善できるような手法を考えたい。