働き方より生き方を

ほぼ日刊イトイ新聞コピーライターの糸井さんがほぼ毎日更新しているウェブ情報誌。少し前に興味を持って、一時期は「ほぼ日手帳」を買おうと真剣にロフトを探したこともあった。一日1ページ、ただ空白があるだけのその手帳には、何を書くのも自由。その日のスケジュールを書いてあとで振り返るのもよし。その日印象に残った新聞記事を切り抜いて貼り付けるもよし。心に焼きついた風景をスケッチするもよし。その人にとってその日がどんな日だったか、それを自由に書きためておける点は、他の手帳にない斬新な機能だと思う。あとで振り返って、「あの日は感動したなぁ」って思い出せるって、実はすごく贅沢なことだと思う。

 

そのほぼ日新聞の今日の「今日のダーリン」を読んで、なるほど、と思った。

 

以下抜粋

「「どういう職業につくか?」ということに、若い人たちは考えさせられることが多いものです。(中略)高校生にたくさん会うことの多い予備校の関係者が、「いまの高校生たちは、調査によると、将来の職業を11しか思いつかないらしいんです」と教えてくれました。会社勤めをするという選択肢を第一に考えていると、職業の種類を思いつくことも、少なくなるんだろうなぁ。ぼくも、そんなふうに思っていました。いまの若い人のことを、ちょっと気の毒にも思いました。そのことを、社会に出て数年の若い知人に話したら、口を結んでじっと考えてから、ぼくの思ってなかった角度からの答えをくれました。「若いときに、職業のことを知らないのは、当然のことなんじゃないでしょうか。それよりも、どういうふうな生き方をしたいのか、そっちのほうをこそ、話し合ったり考えたりするのが大事なんじゃないかと思うんですよね」(中略)どういうことによろこびを見いだしたいのか。どういうことを望むのか、どんな人になりたいのか、そういうことをこそ考えることが重要なのだと‥‥。ぼくは、その通りだと思いました。」

 

ぼくも、その通りだと思った。いままでは「就職する」というのが大前提で、「じゃぁどこに就職すれば生きがいが得られるか」ということを必死に考えていた。もちろん中には、学生のころから「起業して自分のアイデアをビジネスにするんだ」と意気込む人もいるだろう。実家が経営している店の手伝いをしながらいずれ継ぐ、というのが当たり前だと思ってる人もいるだろう。なにも「就職する」だけが社会人になることではない、と言葉では分かっているけれど、では自分が当時どう考えていたか、と振り返ってみると、すくなくともぼくには就職という選択肢しか目に入っていなかった。

 

その会社で働くことそのものがやりたいんじゃなくて、その会社で働くことで得られるものを得たいからそこで働きたいと思うのだ、ということに気付けば、どの会社にいるかというのは大した問題ではないと思える。結果、それを得るためにはここしかないんだ、と思えるような会社に出会えれば、それこそ天職なのだろう。ぼくは前職でそう思ったことがないから、嫌で嫌で仕方なく辞めたわけではないけれど、もしかしたら天職ではなく、転職すべきだ、と神の導きがあったのかもしれない。今の事務所での仕事も天職かどうかはまだ分からないけれど、いまのところは、一生の仕事にしたいという気持ちがあるくらいだから、たぶん間違っていないと思う。

 

ニートという言葉が市民権を得るようになって、なんだかそういう職業があるのではないかと思えてしまう。「どうもやる気がでない」とか「やろうとは思うんだけど体がうまく動かない」とか、さらには「働いたら負けだと思う」とか言う人もいるかもしれないけれど、そういう人に対して、「働くことでこういういいことがあるんだぜ」と自慢できるような、それを見た人が働こうという方向に動けるような、そんな「働き方」というより「生き方」ができたらいいなぁ。

 

 

夜、赤坂見附のピザ屋で食事。

 

日曜の夜の赤坂は思いのほか人通りが少なく静かで、ただ大通りを通る車の多さとビルの大きさだけが都心であることをぼくに示している。

 

うし、明日からまた1週間、がんばるか。