METEORAを久しぶりに聴く

スマホハイレゾの音楽をダウンロードして、聴く。これが最近のmusic life。電車の中でスマホの画面をいじるのは周りと一緒でなんか嫌だから、ひたすら音楽を聴きながら目を閉じ、目的地にたどり着くのを待つ。

 

ミュージックストアで楽曲をいろいろ見ていたら、そうだ、彼らの曲を最近聴いていなかったな、ということに気づいた。大学時代の私の思い出を彩ってくれた大切なバンドであり、当時爆発的にヒットした大切なアルバムだ。自分で興味を持って買い、いまでもその音楽を大事に胸にしまっている、最初で最後の洋楽なんじゃないかと思う。最後、とここで言ったのは、これから先、彼らの音楽以上にハマる洋楽に出会える気がまるでしないからだ。

 

Meteora

Meteora

 

 

 

音楽に関してはかなり偏食な自分。大学に入るまでは「洋楽なんて誰が聴くか。なんて言ってるのか分かんないし、どこが良いのかまるで分からない」と思っていた。そんな偏った考えの自分をわずかに矯正してくれたのが、思えば「METEORA」だった。懐かしい。

 

 

ただ、胸を張って「彼らの音楽が大好きだ」と言える資格が自分にないことは分かっている。なぜなら、2007年の「Minutes To Midnight」を聴いていたころから、ちょうど1か月前の今日、フロントマンが自殺したというニュースを聞いて衝撃を受けるまでの約10年間、彼らの音楽からしばらく離れていたからだ。

 

 

その「METEORA」のハイレゾ音源をダウンロードし、久しぶりに聴く。チェスターのかっこよさは、例えば「Don’t Stay」や「Faint」、「Figure.09」の最後のサビ直前のシャウトだったり、分かりやすいのは(アルバムは違うが)「Given up」のそれだったりする。いつも聴きながらつい力んでしまうし、シャウトする彼の頭の血管が切れやしないかとヒヤヒヤするのだけれど、これがとにかくかっこいい。

 

だけど、それだけじゃなくて、むしろ別のところに、彼の魅力があるのだということを再認識した。それは「From The Inside」や「Numb」のAメロのなめらかに歌う声だ。この声が美しいからこそ、そのあとのシャウトが際立って力を帯びるのだと思う。

 

 

彼の声をもう聴くことができないのだと思うと悲しいのだけれど、じゃぁなぜこれまでお前は彼らの音楽から離れていたのだ、と自分の中の悪魔が言う。そんなこと言われたって・・・ただ、いまになって冷静に過去をふりかえり、そうか、と気づいた。スポンジのようにあらゆる興味の対象を吸収していった大学時代に聴いた「METEORA」や「Hybrid Theory」の曲が完璧すぎたから、そのあとに出る新曲、ニューアルバムを聴いて「あれ、そうでもないな」と幻滅するのが怖かった。それくらい、あの時の曲がかっこよすぎたんだ。それを超えるかっこいいアルバムなんてどうせ出ないだろう、と心のどこかで思っていたのだから、やはり彼らを好きだと言う資格はない。

 

 

久しぶりに聴いた「METEORA」で大学時代への小旅行を楽しみつつ、チェスターの起伏ある歌声を味わう。まさか彼がこんな形で旅立っていくとは思いもせず、まるでそうなったことがきっかけで「METEORA」を改めて聴いている自分が、ちょっと恥ずかしい。